スティーブ・ジョブズの象徴的タートルネックと三宅一生との繋がりが再注目される
三宅氏デザインの制服をAppleに持ち込もうとするも社員からは不評で代わりに自分用に黒のトップスを100枚発注
8月5日に死去したことが明らかとなった日本を代表するファッションデザイナー、三宅一生。その偉大な功績に再び熱い視線が注がれている。〈ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)〉といえば、プリーツ加工を施した“プリーツプリーズ”が世界的に有名だが、「Apple(アップル)」の共同設立者Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)の代名詞である黒のタートルネックも三宅氏のデザインだったことが改めて話題となっており、彼の訃報と共にレガシーを讃える声はむしろ海外メディアのほうが大きく報じているようだ。
Jobsと三宅一生との繋がりを語ったストーリーは、作家・Walter Isaacson(ウォルタ−・アイザックソン)によるジョブズの伝記『スティーブ・ジョブズ』に書かれている。2人の出会いのきっかけは、Jobsが1981年に「Sony(ソニー)」を訪問した際、「Sony」の従業員が着ていた〈ISSEY MIYAKE〉デザインの制服に魅了されたことだという。それはリップストップ生地で下襟がないナイロン製のジャケットで、袖はファスナーで取り外しが出来、ベストにもなる作りだった。ジョブズはこのデザインをたいそう気に入り、似たスタイルの制服をアップルの従業員のためにも作ってほしいと三宅氏に依頼。だがそのアイデアをアップル本社に持ち帰ると従業員からはブーイングが巻き起こり、結局実現しなかった。社員は皆が同じ服を着ている“制服”のようなものを嫌ったのだ。
しかしこれがきっかけでJobsは三宅氏のもとを度々訪ねるようになり、その当時のことを語ったJobsの言葉を作家Walterはこう書いている。「自分の好きな黒のタートルネックを作ってくれるよう頼んだら、100着くらい作ってくれたんです」。そしてクローゼットに積まれたその黒のトップスをWalterに見せながら「残りの人生を過ごすのに十分な量を持っているよ」。その後Jobsは2011年に他界するまで〈ISSEY MIYAKE〉の黒のタートルネックを愛用し続けたという。
シンプルで洗練されたデザイン好むJobsが三宅一生に惹かれたのもうなずけるだけに、黒のタートルネックを介してお互いをリスペクトした偉大な2人の繋がりとそのストーリーは、今後も後世に伝えられていくことだろう。