WORDS BY NORIAKI MORIGUCHI
YOON & VERBAL
世界が二人をリスペクトする理由
PHOTOS BY MACIEJ KUCIA
“カルチャーは、プロダクトではなく、人がつくる。
約束を守り、敬意を重ねた先に、本当のコミュニティは生まれる。”
『Hypebeast Japan』初のデジタルカバーにYOONとVERBALを迎えるにあたり、僕たちは事前に、YOON&VERBALの二人と、直接、綿密なミーティングを重ねることができた。
撮影場所についても、互いのイメージを丁寧にすり合わせながら話し合いを進めていく中で、二人が静かに重要視したのは、今回のもうひとつの主役でもある〈Audemars Piguet(オーデマ ピゲ)〉の時計だった。二人が3年の歳月をかけてデザインした“Royal Oak Concept Flying Tourbillon”というスペシャルピースを、どのようにさりげなく、美しく見せるか。そこには、クリエイターとしての強いこだわりがあった。
「今回は時計もスタイリングの重要なポイントなので、その魅力がしっかりと伝わるように撮りたい」
その考えを撮影チーム全体で共有し、時計の存在感と二人の世界観が自然に引き立つ表現を目指して、自然光も生かせるシンプルな空間で撮影を行うことに。ナチュラルでありながら力強さを感じさせるスタジオで、一つひとつのディテールにまで意識を巡らせながら、今回のシューティングは進んだ。
そして、撮影当日の衣装は、〈AMBUSH(アンプッシュ)〉2027年春夏最新作を使い、YOON自らがセルフスタイリングをしてくれた。迷彩柄が透けるアウターにフーディーをレイヤードし、ファーのバッグを合わせる。腕元には、彼女とVERBALのためだけに製作された“Royal Oak Concept Flying Tourbillon”という、例のピースが輝く。その佇まいは決して派手ではない。しかし、細部まで計算されたバランスが、二人ならではの美意識を雄弁に物語っていた。
今回、撮影を通して改めて感じたのは、YOONとVERBALは、ただ服をつくる人でも、音楽をつくる人でもないということだ。細部に至るまで丁寧にディレクションし、スタッフとコミュニケーションを重ねながら、一つひとつのクリエイティブを組み立てていく。
その姿勢は、撮影現場だけに限ったものではない。ファッション&ジュエリーを中心に、音楽、グラフィック、アート、ナイトライフに至るまで、一つの言語として横断し、新しい文脈を生み出していく。まるでカルチャーそのものを編集するように。その姿勢は、20年以上にわたって変わっていない。
そうしたクリエイティブへの向き合い方は、この〈Audemars Piguet〉とのコラボレーションでも随所に見て取れる。二人が手掛けた“Royal Oak Concept Flying Tourbillon”は、「宇宙」や「エネルギーの流れ」といったYOONの思想を取り込みながら、時計という工業製品を、時間そのものを感じるための詩的なオブジェへと昇華させた。リューズを巻き上げると、2時位置付近からゼンマイが動き出し、そのエネルギーが6時位置の赤いトゥールビヨンへと流れていく。その一連の動きまでデザインの一部として可視化することで、単なる意匠ではなく、ムーブメントの心臓部にまでロマンティシズムを宿らせている。実に奥深いデザインだ。
ちなみに、今回の撮影で着用した“Royal Oak Concept Flying Tourbillon”は、YOONとVERBALの二人だけのために製作された特別仕様のモデル。通常モデルではブラックアベンチュリンのダイヤルが採用されているが、この2本だけの特別仕様ではケースと呼応するシルバーグレーダイヤルへ変更されているのだ。
〈Audemars Piguet〉では、コラボレーションモデルを発売するとき、ユニークピースが製作されることもある。しかし今回の2本は、それとも違う、特別な存在だ。販売を前提としたモデルでも、チャリティのための一点物でもない。YOONとVERBAL、二人だけの時計なのである。つまり、この2本は、二人のクリエイティビティに対する〈Audemars Piguet〉からの深い敬意と信頼が形になったスーパーピースだ。
二人に寄せられる深い敬意と信頼は、2026年5月にソウルで開催された、この“Royal Oak Concept Flying Tourbillon”の発表イベントでも目の当たりにすることができた。YOONとVERBALに会うため、会場には、G-Dragonをはじめ、世界中で活躍するクリエイターやアーティストたちが自然と集まっていた。しかし印象的だったのは、豪華な顔ぶれではない。誰もがYOONとVERBALを「著名人」としてではなく、長年の友人として接していたことだ。
後に二人へ話を聞くと、その理由がよく分かった。彼らの周囲にいる多くの人々は、有名になってから知り合った仲間ではない。肩書きが生まれる前、SNSが今ほど大きな影響力を持つ前から、同じカルチャーの中で時間を共有し、お互いを支えながら歩んできた人たちだった。
インタビューの中でYOONが繰り返し語っていたのは、約束を守ること、相手への敬意を忘れないこと、そして肩書きや立場によって態度を変えないことだった。どれも特別なことではない。しかし、その当たり前を積み重ねることこそが、人との信頼を育み、コミュニティを形づくってきた。今回生まれた時計もまた、その信頼の延長線上にある。そして、その時計を媒介に人が集まり、新たなコミュニティが生まれ、そこから次のカルチャーが育っていく。
今回のインタビューでは、YOONとVERBAL、それぞれの原点をたどりながら、東京という街が二人のクリエイティビティをどのように育み、なぜ彼らが世界中のクリエイターから信頼を集める存在になったのかを紐解いていく。
“才能はもちろん大切です。でも、それ以上に大切なのは、規律と好奇心、そして努力し続ける意志。”
- YOON -
Hypebeast:YOONさんは長く海外で生活しながらも、東京を拠点に活動されています。改めて、世界の都市と比べたとき、東京にしかない魅力やエネルギーとは何だと思いますか?
YOON:東京には、とても独特なエネルギーがあります。ただ、それは大きな声で主張してくるものではありません。こちらが意識して見ようとしなければ、簡単には姿を現さないんです。東京は非常に精密な街ですが、その表面の下には、たくさんの感情が隠れています。人々の服装や動き、空間のデザイン、あるいは沈黙の選び方にまで、それが表れている。
長く海外でも暮らしてきたからこそ、東京を内側からも外側からも見ることができます。その中で今も特別だと感じるのは、やはりコントラストです。未来的でありながらノスタルジックで、規律がある一方で自由もある。洗練されたものと、生々しく未完成なものが自然に共存している。その緊張感が、東京ならではのクリエイティブなエネルギーを生み出しているのだと思います。
私にとって東京は、「観察するための街」です。ここではスピードやノイズよりも、ディテールや空気感が大切にされています。声を張り上げなくても強さは伝わる。そうした東京の美意識が、今の私のデザインの根底にあります。
AMBUSHには東京独特の雑多さや自由さが感じられます。YOONさんの美意識を形づくった東京のカルチャーや風景、あるいは当時影響を受けた場所やコミュニティがあれば教えてください。
AMBUSHを始めた頃の東京は、すでにさまざまなカルチャーが交差する街でした。ただ、今よりもずっとフィジカルで、アンダーグラウンドな空気がありました。店やクラブ、レコードショップ、小さなバー。実際にその場所へ行かなければ、カルチャーは生まれなかったし、出会うこともできなかったんです。
私はただ外側から見ていたわけではなく、そのシーンの中にいました。BBC / ICECREAMで働き、友人のパーティで遊び半分にDJをすることもあった。そうした経験を通じて、ファッション、音楽、ナイトライフ、そしてアティテュードは、すべてひとつの言語になり得ることを知りました。
その後、ファレルやカニエ、エディソン・チャン、BIGBANGのような人たちが東京とつながっていく姿を見て、東京はアメリカ、香港、中国、韓国、日本を横断する、アジアのカルチャーが交わる場所になっていったと感じています。
同時に、自分が少しアウトサイダーだったことも大きかったと思います。東京を内側からも外側からも見ることができたからこそ、ファッション、音楽、アート、ジュエリー、ストリートカルチャー、一見すると無関係に思えるものを自然につなぎ合わせ、自分なりの視点へと変えていくことができました。
AMBUSHは、ひとつのカルチャーを表現するブランドではありません。ラグジュアリーとストリート、洗練と混沌。東京が持つ、その雑多さこそが、AMBUSHの美学になっています。
学生時代はボストン大学でグラフィックデザインを学ばれていましたよね。当時はどんな学生だったのでしょうか?
正直に言うと、かなりのオタクでした。私はアートスクール出身ではありませんでした。公立校からボストン大学へ進学したので、周りには幼い頃から専門教育を受けてきた学生や、私立のアートスクール出身者がたくさんいました。最初は、とにかく早く追いつかなければならないという気持ちでした。基礎を身につけ、同じ土台に立つために、人一倍努力する必要があったんです。
もともと負けず嫌いな性格なので、せっかく与えられた機会を無駄にしたくありませんでした。大学で学べることはすべて吸収したいと思っていましたし、全額奨学金で通っていたので、その資格を維持するためにも成績を落とすわけにはいかなかった。そのプレッシャーが、私をとても規律ある人間にしてくれたと思います。課題に取り組み、夜遅くまで制作を続け、勉強もしながら、生活費や制作費を補うためにアルバイトもしていました。振り返ると、あの頃の経験が今の自分をつくっていると感じます。
才能はもちろん大切です。でも、それ以上に大切なのは、規律と好奇心、そして努力し続ける意志だと思っています。私は最初から恵まれた環境にいたわけではありません。ただ、誰よりも追いつきたいという気持ちだけは強かった。そのマインドセットは、今でも変わっていません。
専攻はファッションではなくグラフィックデザインでした。今振り返ると、そのバックグラウンドはAMBUSHのクリエイションにどのような影響を与えていると思いますか? また、ファッションを専門的に学ばなかったからこそ生まれた視点はありますか?
グラフィックデザインを学んだことは、AMBUSHの土台になっています。私はファッションを専門的に学んだわけではなかったので、ブランドを服だけで考えたことがありませんでした。プロダクトだけではなく、パッケージや店舗空間、ジュエリー、ロゴ、情報の見せ方まで含めて、ひとつのビジュアルランゲージとして捉えていたんです。
ボストン大学では、ポール・ランドの思想を受け継ぐ教授のもとで学びました。だから私の根底には、不要なものを削ぎ落とし、本当に必要なものだけを残すというモダニズムの考え方があります。その姿勢は、AMBUSHを始めた頃から今まで変わっていません。
どれだけ大胆で遊び心のあるデザインでも、その下には必ず構造があります。形や素材、パッケージ、余白まで含めて、すべてがひとつの世界として機能しなければならないと考えています。
一方で、ファッション教育を受けていなかったからこそ、既存のルールに縛られることもありませんでした。ジュエリー、音楽、ストリートカルチャー、アート、プロダクトデザイン──一見すると別々に見えるものを自然につなぎ合わせることができた。そのアウトサイダーとしての視点が、AMBUSHを単なるファッションブランドではなく、カルチャーを表現するブランドへと育ててくれたのだと思います。
AMBUSHはジュエリーブランドとしてスタートしましたが、その後ファッションへと領域を広げていきました。その変化は自然な流れだったのでしょうか。それとも意識的な挑戦だったのでしょうか?
最初から大きな計画があったわけではありません。AMBUSHは、「POW!」のジュエリーをきっかけに、ごく自然な流れで始まりました。私にとってジュエリーは、グラフィックデザインに近い感覚で取り組める存在でした。小さなオブジェでありながら、形や素材、スケール、そこに宿るアティテュードによって、一瞬でメッセージを伝えることができるからです。
アパレルへ広がったのも、とても自然な流れでした。最初は、ジュエリーの世界観を完成させるための服が欲しかったんです。スタイリングをするたびに他ブランドの服を使うのではなく、自分たちで少しずつ作り始めた。それがやがてフルコレクションへと発展していきました。だから、自然な流れでもあり、同時に挑戦でもありました。ブランドが成長するにつれて、「AMBUSHという言語をどこまで広げられるのか」を問い続けるようになったんです。
そして今は、その変遷を経たからこそ、もう一度ブランドの原点へ戻ろうとしている感覚があります。ファッションはとても速い世界ですが、私は「少しゆっくりであること」のほうが健全だと思っています。一時的なトレンドではなく、意味があり、時間を超えて価値を持ち続けるものを作りたい。
ジュエリーは、私にとってもともとそういう存在でした。だからこそ、その原点へ立ち返ることは、とても自然なことだと感じています。
AMBUSHは東京発のブランドでありながら、比較的早い段階から世界的な評価を獲得しました。振り返ってみて、ご自身の中で「AMBUSHが世界に届いた」と感じた転機はありましたか? また、その頃と現在とではブランドに対する考え方に変化はありますか?
AMBUSHは東京で生まれましたが、最初から東京だけに向けたブランドだとは考えていませんでした。立ち上げ当初からニューヨークやロンドン、パリへ足を運び、それぞれの街で人やショップ、音楽、カルチャーに触れ、その空気を東京へ持ち帰ってAMBUSHへ反映してきました。東京を拠点にしていることはブランドの強みでしたが、それだけではなく、もっと大きなカルチャーの対話の中にブランドを置きたいと思っていたんです。
大きな転機になったのは、2015年頃にAMBUSHをパリへ持っていったことでした。世界中のバイヤーやメディアと向き合う中で、AMBUSHは「東京のブランド」であるだけでなく、自分たちのアイデンティティを保ちながら世界と対話できるブランドなのだと実感しました。
その頃から、ブランドに対する考え方も変わりました。以前はコミュニティや好奇心に突き動かされるようにものづくりをしていましたが、世界へ届くようになってからは、「責任」をより強く意識するようになったんです。
ブランドのDNAをどう守り、どうすれば一過性ではなく長く愛される存在になれるのか。今の課題は、世界に見つけてもらうことではありません。意味を持ちながら進化し続けることだと思っています。
Dior Menでキム・ジョーンズと仕事をされた経験は、YOONさんのキャリアにおいても大きな出来事だったと思います。特に、ショーの最後にキムがYOONさんの手を取ってランウェイへ導いたシーンがとても印象的でした。あの経験を振り返って、Diorでのジュエリーデザインはご自身にどのような影響を与えましたか?
キムとは東京で出会い、彼がDunhillへ行く前から長い付き合いがあります。彼は優れたセンスや美意識を持っているだけでなく、ラグジュアリーとストリート、その両方のカルチャーを深く理解している人です。だから彼からDior Menのジュエリーディレクターとして声を掛けてもらえたことは、私にとって本当に大きな出来事でした。
AMBUSHは自分たちの直感を信じながら築いてきたブランドですが、クチュールメゾンで仕事をしたことで、まったく異なる視点を得ることができました。
Diorで学んだ一番大きなことは、「長く残るものをつくる」という考え方です。その瞬間だけ新鮮に見えるものではなく、時間を経ても価値を持ち続けるものとは何か。ヨーロッパのメゾンは、ヘリテージやクラフトマンシップを守りながら、長い時間軸でブランドを育てていくことを本当によく理解しています。その経験を通して、レガシーとは長い歴史そのものではなく、積み重ね続けること、一貫性を持ち続けることなのだと学びました。今ではAMBUSHも、「今この瞬間のブランド」ではなく、意味を持ちながら未来へ続いていくブランドとして考えるようになっています。
ショーの最後、キムが私の手を取ってランウェイへ導いてくれた瞬間は、本当に感情が込み上げました。あれは単なる評価ではありませんでした。長年の友人が、私に新しい世界への扉を開いてくれた。今でも、そのことに心から感謝しています。
VERBALさんとは20年以上にわたりクリエイティブパートナーとして活動されています。長い時間を共にしてきた今でも、彼に対して新たな発見や刺激を感じる瞬間はありますか?
VERBALと私は、本当に正反対の人間です。20年以上一緒に仕事をしていますが、その違いこそが、このパートナーシップを面白くしているのだと思います。私は私が惹かれるものがあり、彼には彼が惹かれるものがある。同じ方向を目指していても、そこへたどり着く道筋は違います。でも、それでいいんです。
お互いに異なるリファレンスや直感、カルチャーの見方を持っているからこそ、新しいものが生まれる。時には意見がぶつかることもありますが、その摩擦があるからこそ、アイデアは前へ進み続けられるのだと思います。
20年以上経った今でも、彼はビジネスや人との出会い、世界中のカルチャーから新しいものを吸収し続けています。私には見えていなかったつながりを彼が見つけることもあり、それは今でも私にとって大きな刺激です。
長く続くクリエイティブパートナーシップとは、何もかも同じであることではありません。違いを認め合い、信頼し合いながら、それでも同じ方向へ進み続けられること。それが、私たちらしい関係なのだと思います。
“音楽も、服も、時計も、空間も。僕にとっては、すべてひとつの表現です。”
- VERBAL -
Hypebeast: VERBALさんから見て、YOONさんはどんな存在ですか?
VERBAL:YOONは、僕にとって一番近くにいるクリエイティブパートナーでありながら、同時に最も鋭い視点を持つ存在です。
20年以上一緒にいるので、お互いの考え方や得意なことは理解しています。でも、それでも彼女はいつも僕より少し先を見ている。まだ言葉になっていない空気や、これから必要になる感覚を、誰よりも早く掴んでいるんです。AMBUSHにおいて、YOONはブランドのクリエイティブそのものだと思っています。
僕の役割は、その直感をどう形にするかを考えること。クリエイティブをプロジェクトやビジネスとして成立させ、世界へ届けるための土台をつくることです。彼女が未来を見つけ、僕がそれを世界へ届ける。20年以上経った今も、その役割は変わっていません。
また、長い時間を共にしてきた今でも、驚かされる部分はありますか?
20年以上一緒にいても、YOONが自分の美意識を決して固定しないことには、今でも驚かされます。
一度評価されたスタイルや成功した表現を続けるほうが、ずっと楽なはずです。でも彼女は、その場所に留まることを選ばない。常に次の「違和感」を探し続けています。面白いのは、とても抽象的な感覚と、現実的な視点を同時に持っていることです。
宇宙やエネルギーについて話していたかと思えば、次の瞬間には「この素材は肌にどう触れるのか」「このポケットは本当に使いやすいのか」といった、とても実践的なことを考えている。その想像力と現実感覚を行き来できるところは、今でも僕にとって大きな刺激です。
VERBALさんは、ラッパー、音楽プロデューサー、クリエイティブディレクター、起業家と、ひとつの肩書きでは表現できない活動を続けてこられました。ご自身では、そうしたジャンルを横断しているという意識はあるのでしょうか?
実は、自分では「ジャンルを横断している」という感覚はあまりありません。僕は韓国にルーツがあり、日本で育ち、アメリカで学び、音楽やファッション、カルチャー、ビジネスの間を行き来してきました。だから最初から、ひとつのカテゴリーにきれいに収まるような感覚はなかったんです。
「これは音楽だから」「これはファッションだから」と分けて考えるよりも、「今、自分たちは何を伝えたいのか」「どんな世界をつくりたいのか」というところから考えることが多いですね。
音楽も、服も、時計も、イベントも、僕にとってはすべて表現のための言語です。その言語をどう組み合わせれば、新しい感情や景色が生まれるのか。そこに一番興味があります。もし一言で表現するなら、僕は異なる世界をつなぐ存在なのかもしれません。まだ誰も見たことのない文脈を生み出すことに、ずっと惹かれています。
また、それぞれの活動を貫く共通の価値観があれば教えてください。軸足は、やはりミュージシャンなのでしょうか?
すべての活動に共通しているのは、「なぜそれをつくるのか」を大切にしていることです。今は、表面的にクールなものだけなら、一瞬で生み出せる時代です。でも、それが本当に時間を超えて残るものになるかどうかは、また別の話だと思っています。
僕は、機能や意味、そして感情がきちんと宿っているものに惹かれます。音楽は、今でも自分の軸です。というより、音楽が僕の考え方そのものをつくってくれました。
リズムとは時間の使い方であり、プロデュースとは、何を足し、何を引くかを考える「編集」の作業です。そしてヒップホップからは、過去をサンプリングしながら未来をつくるという発想を学びました。
その考え方は、ファッションにも、時計にも、ビジネスにも共通しています。だから今の自分を「ミュージシャン」という言葉だけで表現するには、少し狭い気がします。音楽を原点にしながら、さまざまなカルチャーを行き来し、新しい文脈をつくること。それが今の自分に一番近い表現なのかもしれません。
ミュージシャンやクリエイターとしての顔が広く知られていますが、時計コレクターとしての一面もお持ちですよね。時計に惹かれるようになった原体験や、初めて「これは特別だ」と感じた1本について教えてください。
時計に惹かれたのは、小さなケースの中に、技術や歴史、デザイン、そして個人の記憶までもが詰まっているからです。
ファッションのように身体に近い存在でありながら、建築のような構造美があり、音楽のように「時間」を扱う。そのすべてが共存しているところに魅力を感じています。
特別な1本として思い浮かぶのは、やはり初代のRoyal Oak Conceptです。
2002年に発表されたこの時計は、初めて見たときからずっと頭の中に残っています。未来からやって来たオブジェのようなデザインでありながら、完全な機械式で、人の手と技術によって動いている。そのギャップに衝撃を受けました。
ケースには航空宇宙や医療分野でも使われるAlacrite 602というコバルト合金が採用され、Audemars Piguetの技術力や、その後のRichard Milleへと続く「ハイパーウォッチ」の流れまで含めて、時計史に残る1本だと思っています。
僕にとって時計は、ステータスではありません。一緒に過ごした時間によって、自分の人生の一部になっていく存在です。
長年さまざまなものを見てきたコレクターとして、良いプロダクトに共通する条件とは何だと思いますか?
良いプロダクトに共通しているのは、「存在する理由」があることだと思います。ただ美しいだけではなく、なぜこの形なのか、なぜこの素材なのか、なぜこの重さなのか。すべてに意味があるものは、時間が経っても色褪せません。僕は「機能が形を導く」という考え方が好きなんです。
例えばトゥールビヨンも、最初から美しく見せるために生まれたものではありません。時計の精度を高めるために生まれた機構です。でも、その機能を突き詰めた結果として、美しい造形になっている。そういうものには強さがあります。
もうひとつ大切なのは、「編集されていること」です。足し過ぎないこと。本当に必要なものだけを残すこと。モノが溢れている時代だからこそ、自分の生活の中に存在する理由があるものを選びたい。本当に良いプロダクトとは、所有することで完成するものではありません。その人と時間を重ねることで、少しずつ意味が育っていくものだと思います。
東京のストリートカルチャーや音楽シーンがまだ今ほどグローバルではなかった時代から活動されてきました。振り返ってみて、東京という街の面白さや可能性はどこにあると思いますか?
東京の面白さは、さまざまなカルチャーが、無理に説明されることなく自然に共存しているところだと思います。音楽、ファッション、アニメ、ゲーム、ストリート、クラフト、テクノロジー、食。すべてが同じ街の中にあり、ごく自然に混ざり合っている。
僕の中では、ニューヨークは「サバイバルの街」、ロンドンは「レジスタンスの街」、ソウルは「アップデートの街」というイメージがあります。
では東京は何か。僕は、「編集の街」だと思っています。無数のサブカルチャーが、それぞれ静かに磨かれながら、誰かが意図的につなげるのではなく、自然と交わり、新しい文脈を生み出していく。東京の可能性は、その静かな密度にあります。
路地裏の小さな店や、一夜限りのクラブイベント、誰かの部屋で生まれたアイデアが、時間をかけて世界へ広がっていく。そんなことが、この街では当たり前のように起こる。AMBUSHも、そうした東京という街が持つ「編集力」の中から、ごく自然に生まれたブランドだと思っています。
AMBUSHは近年、大きな転換期を迎えました。ブランドのオーナーシップを取り戻したことで、クリエイティブや経営において何か変化はありましたか? また、今後のAMBUSHをどのような方向へ導いていきたいと考えていますか?
オーナーシップを取り戻したことで、一番大きく変わったのは、自分たち自身の時間軸でブランドを考えられるようになったことです。もちろん、ビジネスとしての責任は以前より大きくなりました。でもクリエイティブに関しては、もう一度ブランドの核へ立ち返れるような感覚があります。
AMBUSHは、最初から「ファッションブランドをつくろう」と思って始めたものではありませんでした。音楽、ナイトライフ、東京のストリートカルチャー、そして仲間とのコミュニティ。そうした日常の中から、ごく自然に生まれた、自分たちにとって必要な表現だったんです。その感覚は、これからも失いたくありません。
だから次のチャプターでは、もっと長い時間軸でブランドを育てていきたいと思っています。ジュエリーやアクセサリーという原点を大切にしながら、洋服、空間、コラボレーション、さらにはテクノロジーまで含めて、AMBUSHを東京発のデザインとカルチャーのプラットフォームへ発展させていきたい。
ストリートというルーツを大切にしながら、そこに留まるつもりはありません。時間を重ねるほど意味が深まり、未来と今をつなぐブランドであり続けたいと思っています。
インタビューの最後に、「もし今の自分が20代の自分へ言葉を掛けるとしたら、何を伝えますか?」と二人へ尋ねた。
YOONは少し考えたあと、「センスだけでは足りない」と答えた。ブランドを続けていくためには、クリエイティビティだけではなく、ビジネスを理解し、それを守る力も必要になる。そして、「そんなに急がなくていい」とも続けた。
小さな出来事も、失敗も、徹夜した夜も、一緒に過ごした仲間たちも、そのすべてが今の自分をつくってくれた。だから、自分のセンスも、飢えも、そのまま信じてほしい。そして、旅の途中を楽しむことも忘れないでほしい、と。
一方、VERBALが20代の自分へ伝えたいのは、「そんなに急いで自分を定義しなくていい」ということだった。当時は、自分が何者なのか、どこに属しているのかを考え過ぎていた。しかし今振り返れば、「どこにも完全には属していない」という感覚こそが、自分だけの強みだったという。韓国にルーツを持ち、日本で育ち、アメリカで学び、音楽、ファッション、カルチャーの間を行き来してきたからこそ見えた景色がある。だから無理にどこかのカテゴリーへ収まる必要はない。異なる世界の「あいだ」にいることを大切にしてほしいと語った。
二人の言葉は違っていても、その先にあるメッセージは驚くほど似ていた。焦らなくていい。急いで何者かになろうとしなくていい。積み重ねた時間も、出会った人も、遠回りに思えた経験も、やがて自分だけの言語になっていく。
20年以上にわたり、カルチャーの中で生きてきたYOONとVERBALだからこそ、その言葉には静かな重みがあった。
