ヴァージル・アブローが世界に示した無限の可能性
「You can do it too(君にだってできる)」
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世界中に激震が走ったVirgil Abloh(ヴァージル・アブロー)の訃報。20代前半〜中盤ぐらいまでの方にとっては、Virgilの歩んだ軌跡がファッション史そのものと言っても過言ではないぐらい、2010年代はファッションの本流がVirgilを追いかける時代だった。
さまざまな側面において、秀でた才能を持つVirgil Ablohだったが、中でもその強みはバランス感覚だったと考える。〈Off-White™️(オフホワイト)〉のローンチから、わずか数年で〈Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)〉のアーティスティックディレクターにまで上り詰めたVirgil(これはアフリカ系アメリカ人デザイナーとして史上初の出来事)。メインストリームになればなるほど、本質を保つことが難しくなるが、Virgil Ablohは〈Champion(チャンピオン)〉のボディにシルクスクリーンでプリントした〈PYREX VISION(パイレックス ビジョン)〉時代から、その価値観は大きくブレることがなかったように見える(≒良い意味でやっていることが変わらない)。
誤解を恐れずに言えば、アイデアそのものが斬新というよりかは、彼と同じ世代のストリート畑の人であれば思い付きそうな(でも到底実現できないような)発想を高次元でやってのける実行力と大胆さがVirgil Ablohのクリエイティビティの根幹なのかもしれない。彼の手掛けた〈Louis Vuitton〉のソフトトランク1つとっても、モノグラム・キャンバスにスケーターやパンクキッズが付けていそうなDIYのチェーンをミックスしたブート感が時代の変革を感じさせるものであったし、はたまた〈PALACE SKATEBOARDS(パレス スケートボード)〉のLucien Clarke(ルシアン・クラーク)を招聘した〈Louis Vuitton〉初のスケートシューズなども良い例だろう。
若手とレジェンド、両極の架け橋となっていたのもVirgilだ。A$AP Mob(エイサップ・モブ)やLuka Sabbat(ルカ・サバト)はじめとする(当時としては)新進気鋭のクリエイター/インフルエンサーにいち早く目を付けていただけでなく〈Louis Vuitton〉に加入後は、Sheck Wes(シェック・ウェス)とFutura(フューチュラ)を同じショーで登場させたり、Mos Def(モス・デフ)ことYasiin Bey(ヤシーン・ベイ)、Saul Williams(ソウル・ウィリアムズ)、Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)のGZA、Goldie(ゴールディー)といった面々を起用するなど、彼とその上の世代にとっては痒いところに手が届く、下の世代にとっては知見を広げる温故知新な演出もVirgilならでは。彼の視野は横方向に広いだけでなく、縦方向にも上下する柔軟さを持っていた。
また、東京のシーンが世界規模で再び絶大な影響力を持った背景にも、Virgil Ablohの存在があるだろう。彼の動きを“裏原カルチャーの現代版”と捉える人も多かったが、実際にVirgilは裏原のOGを自身のヒーローとして崇めており、〈Off-White™️〉は2015、2016、2019年に藤原ヒロシの〈fragment design(フラグメント デザイン)〉と、2019年に高橋盾の〈UNDERCOVER(アンダーカバー)〉とコラボアイテムをリリース。NIGO®️とは〈Louis Vuitton〉にて共同コレクションの “LV²(LVスクエアード)”を発表している。ファッション以外の分野においても、村上隆や野村訓市と親交が深く、来日時には『Kaikai Kiki Gallery』にて個展を開催したり、野村氏のオーガナイズする「Mild Bunch」へのゲスト主演など、昼夜問わず東京を沸かせた。
過去のインタビューで「私はいつだって17歳の自分に対して、無理だと思っていたことも現実になり得ると証明しようと努力しています」と語っていたVirgil。不可能を可能にしてきた彼の意志は、世界中の至るところで、この先何世代にもわたって継承されていくのだろう。