稀代のマルチクリエーター ベンジャミン・エドガーに聞く世界制作の方法 | Interviews
日本初ソロアートイベントを開催中のベンジャミン・エドガーが語るデザイン哲学、『BEAMS T』とのコラボレーション、盟友ヴァージル・アブローについて
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アメリカ・シカゴを拠点に活動するクリエーター ベンジャミン・エドガー・ゴット(Benjamin Edgar Gott)の日本初となるソロアートイベント “BENJAMIN EDGARʼS I-BEAMS FOR BEAMS T”が、8⽉23⽇(⾦)から9⽉1⽇(⽇)まで『ビームスT 原宿』で開催中だ。
ベンジャミン・エドガー・ゴットは自身の名を冠したデザインカンパニー「BENJAMIN EDGAR」を主宰するデザイナーであり、環境や人、社会をデザインで繋ぐジャンルの垣根を越えたプロジェクトを“An Object Company”と名付け、独⾃のコンセプトとアイデンティティを打ち出したモノづくりを行なっている。彼の手掛けたプロダクトのひとつ、“SWIZERLAND CHICAGO”と刺繍されたキャップを街で目にする機会は多いのではないだろうか。現在デザイン界で世界的な注目を浴びるベンジャミンだが、正式な訓練や教育を受けることなく、自らの力でその道を切り開いてきた異色の経歴を持つ。
ベンジャミンは独学でプログラミングを学び、17歳の時にWeb開発者としてそのキャリアをスタートする。2005年には同郷の友人であるチャック・アンダーソン(Chuck Anderson)やヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)とカルチャーブログ『THE BRILLIANCE!』を立ち上げ、2009年にはサステナブルな飲料水「Boxed Water」を発表するなど、これまで数多くのプロジェクトを手掛けてきた。また、近年は地元シカゴの有力セレクトショップ『NOTRE』の建築デザインに携わるなど、自身のマルチな才能を活かして故郷のローカルシーンをリードする活動も精力的に行っている。今回『Hypebeast』は、『ビームスT 原宿』でのアートイベントのために来日したベンジャミンへのインタビューを敢行。多彩なデザイン活動の秘密を解き明かすべく、彼なりの“世界制作の方法(Ways of Worldmaking)”を聞いた。
Hypebeast:最初にデザインに興味を持ったのはいつ、何がきっかけでしたか?
確か10歳になる前からドローイングやスケッチをしていて、身の回りの世界を編集したり、自分を表現したいという欲求があったと思う。ほとんど強迫観念みたいなものかな。僕は今でもそういった事に固執していて、自分の世界を創造したいという子供の頃の衝動を失っていないんだ。
あなたの経歴を見ると、本格的なキャリアをWeb開発者からスタートしていますよね? どうしてWeb関連の仕事に携わるようになったのですか?
13歳のころ、地元シカゴの公立図書館でパソコンに初めて触れたんだ。ちょうどパソコンが一般の家庭に普及し始めた時代で、それは当時最先端のものだった。特にインターネットが登場した時は驚いたよ。例えばソフトウェアやWebサイトを作ったとして、それを世界中の人たちとインターネットを通じて共有できる。プログラミングとインターネットは、無限のLEGO(レゴ)のピースを持っているようなものだと思った。作りたいものは何でも作れる。自分の作ったものを世界に広く伝えていけるWebの可能性に惹かれて、プログラミングについて勉強するようになった。
プログラミングのスキルは独学で身につけたのでしょうか?
最初は図書館で専門書を見つけて独学で始めて、あとはそういった事に詳しい友人やオタクの人たちと情報交換しながら、どんどん知識を深めていったんだ。
当時面白いと思ったり、何か影響を受けたWebサイトやソフトウェアはありますか?
LAND ROVER(ランドローバー)の最初のWebサイトにはとても魅了された。サイトを開くと車が実際に画面上を走っているような映像が出てきて、すごくクレイジーに見えたんだ。ちなみに、僕が初めて手に入れた車もLAND ROVERだったよ。
それは良いエピソードですね。今のお話を聞くと、プログラミング自体というより、Webのデザインが視覚的に面白いと思ったわけですよね?
一言で言うと“コントラスト”に惹かれたんだ。例えば、車などの実際に外で見かけるものをパソコンの画面上でも見ることができるという、そのコントラストが非常に面白いと思ったよ。
なるほど。Web関連の仕事から、所属していた会社を辞めて別の仕事に移行していったきっかけは何だったのでしょうか?
しばらくプログラミングの仕事に携わっていて、ある時からその過程を作っていくことよりも、完成したサイトに対してユーザーがどんなを反応して、楽しい時間を過ごしてくれるかを考える方が好きだと感じるようになった。プロセスよりも出来上がった後のデザインに興味が移り、自然と別の方向性を模索し始めたんだ。
2005年にはチャック・アンダーソンとカルチャーブログ『THE BRILLIANCE!』を立ち上げ、後にヴァージル・アブローも参加することになります。彼らとはいつ出会いましたか? また、どのようにこのプロジェクトは始まったのでしょうか?
チャックとは10歳の頃から友達なんだ。彼はグラフィックデザインに興味があって、僕はプログラミングをやっていたから、2人で情報をシェアしていた。テクノロジーに関することから旅行してみたい場所まで、お互いが見つけた面白いトピックを常にメールでやりとりしていたんだけど、チャックがこれらの中からコンテンツをピックアップして、ブログで共有すべきだと言い出したんだ。これが『THE BRILLIANCE!』の始まり。
チャックは当時デザインやインターネットのコミュニティの間で有名人だったから、その事がブログの宣伝にもなった。僕は当時全く無名だったけど、結局自分でコーディングしてブログ全体を開発した。CMS(コンテンツ・マネージメント・システム)とかは一切使わず、全部自分たちだけでサイトを作ったんだ。本当に奇妙なサイトで、当時もそう思ったんだけど、ほとんど未完成に見えるよね。何でこのままにしたんだろう……まあそれはともかく、『THE BRILLIANCE!』では次の2つの事を実行した。まずは僕たちが本当に面白いと思った人、商品、物についての記事を書くこと。もう1つは、話を聞きたい人にインタビューすること。そういった内容をどんどんブログに載せていった。
ある時、ヴァージルから自分もライターとして『THE BRILLIANCE!』に参加できないかというメールが届いたんだ。僕らは最初その申し出を断ったんだけど、その後も彼とは連絡を取り続けていた。次第にお互いの信頼が深まってきて、僕らが忙しくなってきたタイミングで、ヴァージルにブログに何か書いて欲しいと逆にオファーしたら引き受けてくれたんだ。ヴァージルがカニエ関連やその他の仕事で自身のキャリアを本格的にスタートするよりずっと前のことで、僕らはその時代から友情関係を築いていたんだ。
最初に連絡があった時点でヴァージルとは既に知り合いだったのですか?
いや、ブログを始める前は面識はない。しかもヴァージルが『THE BRILLIANCE!』に寄稿し始めた当初も実際には会ってはいなくて、ブログの立ち上げから4〜5カ月後くらいにニューヨークに行く機会があり、その時に空港で初めて会ったんだ。確か2005年末ごろか、2006年の初頭だったと思う。
『THE BRILLIANCE!』が始まった2005年頃は、Webメディアの黎明期ですよね。それまでアートや建築、ファッション、音楽などのあらゆるカルチャーを網羅しているWebメディアは、ほとんど存在しなかったと思います。例えば、『Hypebeast』や『Highsnobiety』も同じ2005年にスタートしています。これは全くの偶然でしょうか? もしくは『THE BRILLIANCE!』を始める際に、そういったメディアを参照したり、何かから影響を受けたりしましたか?
確かにそういったメディアが同じ時期に始まったのは興味深い現象だね。実際、当時は他にもいくつかブログがあった。僕らは特に何かに影響を受けて『THE BRILLIANCE!』を始めたわけじゃないし、例えば『Hypebeast』を意識したこともない。僕らは『THE BRILLIANCE!』をメディアだと考えたことはなく、いわば“ツーリスト(観光客)”のように、起こっているシーンに対してコメントしているだけだと思っていた。僕たちは若かったから、ただ自分たちが面白いと思ったことを記録し、時には言いたいことを言って、やりたいことをやっていただけ。今思えば、『THE BRILLIANCE!』を現在のSNSのように使っていたのかもしれない。
『THE BRILLIANCE!』を始めたことで、あなたの知名度は飛躍的に上がったと思います。あのブログを通してあなたが得たものは何ですか?
『THE BRILLIANCE!』はビジネスモデルを持っていなかったから、僕らはあのブログでお金を得たことは全くない。別の仕事もしていたから生活のための収入は他で稼いでいたし、だから『THE BRILLIANCE!』では純粋に好きなことだけできた。僕のキャリアを振り返ると、『THE BRILLIANCE!』を通してゼロから何かを創り出し、それを世に問うことで、自分自身を表現する方法を学んだと思う。そして何が成功し、何が失敗したのかもね。
ヴァージル・アブローからはどのような影響を受けましたか?
まずヴァージルは素晴らしい友人だった。誰かと友達になり、その人の成功ややってきた全てを目の当たりにできたこと、最前列の席でそれを共有できたことは、信じられないほど幸運に思っている。ヴァージルは僕が知る中で最も楽観的な人で、あらゆることに対して深い好奇心を持っていた。楽観主義と好奇心、そして彼のビジョンに元々備わっていた並外れたセンスが、誰にも止められない力を生み出したんだと思う。ヴァージルはニューヨークやパリ、ロサンゼルスのような中心地ではなく、シカゴという“外側”からやってきて成功を成し遂げたんだ。人は歳をとるにつれて、好奇心を持ち続け、何に対しても楽観的でいることはとても難しくなる。自分が何かに少し苛立ちを覚えたり、物事がうまく行かない時も、彼は笑顔でそれを乗り越えていた。ヴァージルのキャリアの多くは「物事はうまくいくものだ」という深い楽観主義に貫かれていて、そのポジティブさが最終的に最高のデザインを生むことを証明してくれた。ヴァージルはデザイン界のマイケル・ジョーダン(Michael Jordan)だよ!
2009年に始まった「Boxed Water」はあなたの最も有名なプロジェクトの一つです。「Boxed Water」は現在世界的な潮流となっているサステナブルなプロダクトの先駆けだと思いますが、どうやってこのアイデアを思いついたのでしょうか?
元々のきっかけを辿ると、2000年代の初頭にアメリカで環境保護主義という考え方が一般的になり、文化的な言説として誰もが口にするようになったことが大きい。特に大型SUVやトラックに乗るのは止めよう、ペットボトル入りの飲料水を買うのは止めようといった声が民間からも出てきた。他にも色々な問題があるけれど、この2つが大きなトピックで、僕は水の問題に取り組むのはとても興味深いと思ったんだ。ペットボトル入りの飲料水を買う行為は環境にとって最悪のことであるにも関わらず、人々はそれを買い続けるだろう。だったら、新しい解決策を考え出すのはデザイナーや起業家の仕事だと考えた。そこで僕は再生可能な資源から作られた紙で、より効率的に製造でき、慈善的で、還元できるパッケージを作ろう、そしてそれを今まで見たこともないようなデザインにしようと思ったんだ。何か違うことをするなら、見た目も違うべきだからね。こうして生まれたのが、「Boxed Water」なんだ。時々振り返ってみると、僕は当時とても野心的で世間知らずだったけど、この大胆なアイデアを試してみたんだ。
「Boxed Water」は大きく成長しましたが、現在もこのプロジェクトに本格的に関わっているのでしょうか?
いや、僕は2014年に退任したんだ。今でも会社の一部を所有しているし、積極的にサポートやアドバイスもしている。あの会社は規模が大きくないと成り立たないし、そうなると運営するのはすごく難しい。毎年何千万、何億という水を売っているけど、業界ではまだ小さい方だ。僕には会社のごく初期の頃や、もっと芸術的な追求の方が向いていると思う。
同じく2009年には自身の会社「BENJAMIN EDGAR, An Object Company」を設立していますね。自身のデザイン会社を立ち上げようと思ったきっかけを教えてください。
当時は複数のプロジェクトを同時進行していたんだけど、「Boxed Water」が会社としてだんだん大きくなり始めたことで、投資家が関与せず、自分が本当に好きでやりたかったこと、遊びながら何かを学べるような場所を求めて、「An Object Company」を設立した。当初は会社だと考えてなくて、個人的な趣味のようなものだった。素材に興味を持ち、金属のフライス加工について学んだり、コンクリートやカーボンファイバーなどについて勉強していくうちに、それらを使ってプロダクトを作りたいと思うようになった。父親が大工だったので、幼少期は彼の仕事を手伝ったりしていたんだ。でも長い間デジタルの仕事ばかりしていてそういった事と離れていたから、あらためて物理的なものを作るのは素晴らしいことだと感じたよ。正直に言うと、それが自分の人生の大きな部分を占めるようになるとは想像もしていなかった。「An Object Company」は僕が今まで行ってきたプロジェクトの中で、最も好きなことの一つだ。
「An Object Company」で一番最初に作ったものを覚えていますか?
一番最初は服作りから始めて、オックスフォードシャツやシンプルなTシャツを作った。その次に大理石でハンガーを作ったことがきっかけで、ファッションデザインよりもインダストリアルデザインの方に注力するようになっていった。
これまで作ったプロダクトの中で、特に思い入れが強いものは何ですか?
たくさんあって決められないけど、やはり1番はこのスツール(Sculptor’s Stand Stool)。僕が今まで作ったもの中でも一番大きいオブジェクトだね。これは彫刻家が彫刻を作るときに使う台から発想したスツールで、元々は人が座るものではない。でも僕が初めて椅子やスツールを作ることになったとき、その台を参考にするというアイデアが浮かんだ。この上に置くものは何でも彫刻になるし、このスツールに座る人は誰でも彫刻になる。もしアーティストなら、アトリエで作品制作のためにこれを使うだろう。僕は自宅でスツールとして使っているよ。2番目はまだ商品化されていないんだけど、財布としても使えるカードホルダー。レザーはスペイン製で、金具の部分に関してはドイツのエンジニアとやり取りして、クオリティの高いものを作ろうと進行している。
近年のプロジェクトでは、シカゴの有力セレクトショップ『NOTRE』の建築デザインを手掛けたと聞きました。
『NOTRE』にはショップのリニューアルの時に関わったんだ。僕は建築家として携わったわけではなくて、プロジェクトリーダーとしてインテリアデザインの大部分に貢献した。店内に置かれている家具の多くや洋服をかけるラックのシステムをデザインしたよ。このプロジェクトは結構ハードで、白髪になっちゃうくらい大変だった(笑)
『NOTRE』のデザインだけでなく、地元のアーティストをフックアップしたりと、近年はシカゴに貢献するような活動を積極的に行なっている印象です。あなたにとってシカゴとはどういう場所ですか?
もちろん、シカゴは僕が生まれた場所だし、人生の大半はあの街で暮らしているから自分にとって特別なのは間違いない。街並みも本当に美しいしね。僕は今シカゴのダウンタウンに住んでいるんだけど、その事で自分を保てているような気がするんだ。ニューヨークやロサンゼルス、パリのような都市にいなくても、より大きなシーンやデザインカルチャーの世界に貢献できる、あるいは貢献できる何かがある。大都市と違って周りに文化やシーンがあまりないので、独創的になるように強いられる。本当に自分自身から生まれてくるものを大事にできると思う。
あなたが今シカゴで注目しているクリエーターはいますか?
僕の好きなクリエイターは2人いる。1人目は、僕の友人でもあるジョー・フレッシュグッズ(Joe Freshgoods)。ジョーはシカゴのシーンにとって非常に大きな存在で、みんなが彼のことを尊敬している。彼のクリエーションは全てシカゴで築き上げ、外に広げていったものなんだ。2人目は、『ANTHONY GALLERY(アンソニー・ギャラリー)』を主宰するイージー・オタバー(Easy Otabor)。彼は初期の『RSVP Gallery』やその周辺のシーン全体に関わっていた人物で、これまで数多くのプロジェクトを手掛けている。『ANTHONY GALLERY』は今シカゴで文化的に最も興味深いプロジェクトで、アートギャラリーとして国際的なレベルだと思う。僕は彼の事を本当に尊敬しているんだ。
今名前があがったジョー・フレッシュグッズやヴァージル・アブロー、そしてあなたも正式な訓練や教育を受けることなく独学でデザインのスキルを身につけました。このように、優れたデザイナーは独学者であることが多いと思います。学校や教育の必要性について、どのように考えていますか?
僕は若い頃パンクロックのアティテュードで、学校はどうでもいいやと思っていた(笑)。ただ好奇心旺盛で、自分の興味のある事を学ぶのは好きだったから、学校での勉強に向いていなかっただけかもしれない。今から過去に戻れるとしたら、おそらく学びたいことに関しては学校に行って勉強するだろう。もし18歳の子が僕に相談してきたら、何か夢中になれるものを見つけてと伝えるよ。興味を引かれるものなら何でもいい。まずは好奇心を育てることが重要だ。自分が何をしたいのかがはっきりするまで、それを学ぶ方法を探して欲しい。学びたいことがあった上で学校に行くのは良いけど、目的もなく学校へ行くのは少し危険だと思う。
あなたのような優れたデザイナーになるにはどうしたら良いでしょうか? 若いクリエーターにアドバイスをいただけますか。
誰かのようになろうとしないことが、僕ができるアドバイス。僕やヴァージルだけなく、誰の真似もしないでほしい。まず朝起きて、最初に自分は何を思うか、どんなことに興奮するのか、そういった事を考え続けることが大切だよ。自分自身を理解すればするほど、君のデザインは消費者にとってより明確なものになる。自分の興味や情熱に従い、その目的が純粋であれば良いデザインに繋がっていくと思う。
良いデザイナーになるには、誰の真似もしないこと。自分の興味や情熱に従い、その目的が純粋であれば良いデザインに繋がっていく
今回の『BEAMS T』とのプロジェクトについて聞かせてください。まず、『BEAMS』もしくは『BEAMS T』についてどんなイメージを持っていましたか?
僕が『BEAMS』の事を知ったのは、『THE BRILLIANCE!』を始めた頃に遡る。2000年代初頭、NIGO®️(ニゴー)のブランドに代表される日本発のストリートウェアがニューヨークで話題になり始め、僕もそのカルチャーについて初めて知った。それで日本のリテール文化やショッピング、デザインの歴史について調べていくと、『BEAMS』の名前が何度も出てきたんだ。1970年代に始まって、同じ形態を40年以上も続けているなんて信じられないよ!僕の知る限り、アメリカにはそれに相当するものはない。『BEAMS』のやっていることは多岐に渡っていて、そのどれもが非常に魅力的だと思う。特に『BEAMS T』については、片山正通とWonder Wall(ワンダーウォール)が手掛けた美しい店舗デザイン、そのスペースで販売される服まで、『THE BRILLIANCE!』の初期にそれらから多くの事を学んだ。アートプロジェクト、スペース、洋服で構成される『BEAMS T』のコンセプトは、正に今自分のやっていることと一致しているし、今回彼らとプロジェクトを共にすることができて、とても光栄だと感じてる。
今回のイベントタイトル “BENJAMIN EDGARʼS I-BEAMS FOR BEAMS T”の意味と、『BEAMS T』と制作した別注コレクションについて教えてください。
僕は長い間高層ビルなどの建築物に使用される“梁(はり)”に着目していて、それはビルのロゴと捉えることもできる。僕の敬愛するミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe)はドイツの有名な建築家だけど、シカゴに多くの仕事を残している。彼は自身の手掛けた建築の外壁に“I-BEAM(断⾯がI型になっている梁)”を見せることで、建物の特徴を強調していたんだ。それでミースの作品にインスパイアされ、“I-BEAM”というキーホルダーを作った。僕はこれをとても気に入っていて、自分のブランドを象徴するプロダクトの一つだと思ってる。
『BEAMS T』とのコラボレーションでは、通常はスチール製の“I-BEAM”キーホルダーをラバー素材で制作した。ラバー素材を使うことになったのは全く偶然だけど、それによって絶対に曲がるはずのない“I-BEAM”を曲げることができるようになった。僕の表現のひとつは、みんなが見慣れたものやありふれたものを、ちょっと遊んで曲げてしまうこと。堅固であるはずのものに柔軟性を持たせるのは、哲学的なことだと思う。今回のイベントタイトルは、“I-BEAM”と“BEAMS”をくっつけて“I-BEAMS”と名付けた。ちょっとした言葉遊びだね。イベントのキービジュアルとして、梁が曲がっているグラフィックをデザインした。このグラフィックを使用したTシャツには、シカゴ・ブルズカラーを採用している。
2021年から多用している“12345”のモチーフにはどういう意味があるんでしょうか?
“12345”が生まれた背景は2つあるんだ。1つ目は、カレッジフーディを作りたいと思ったことがきっかけ。大学生が“HARVARD”や“COLUMBIA”といった学校のロゴが入ったフーディを着ている光景をよく見かけるよね? そのようなものを着ることは、非常にクラシックな行為だと思う。で、僕もクラシックな見た目のカレッジフーディを作りたいと思ったんだけど、大学に行ってないから具体的な学校名を入れることはできない。それで学校名の代わりに“I-BEAM”のような親しみのあるデザインを考えた結果、“12345”という数字を入れるアイデアを思いついた。
2つ目は、ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)というアーティストの作品から着想を得ている。彼は抽象表現主義末期の1950年代に活動した作家で、その作品は1930〜40年代では一般的に理解されないような、とても奇妙で抽象的なものだった。ジャスパーはアルファベットを何度も繰り返し描いていて、心がすでに知っているものを描いていると言っていた。僕の考えでは、これは“I-BEAM”と同じだと思う。これらはとても身近にあり、感情を呼び起こすようなもの。“I-BEAM”や“12345”は創造と構築を表しているけど、身近にあるものを再文脈化しているだけなんだ。
日本でも人気のキャップに使われている“SWIZERLAND CHICAGO”の意味についても教えてください。
このキャップは、アメリカ国内よりも日本からのオーダーの方が多いんだよね(笑)。“SWIZERLAND CHICAGO”は2語だけを使った詩(ポエム)なんだ。見慣れた言葉を2つ並べるだけで、多くの疑問を投げかけているようで面白い。シカゴはニューヨークや東京、パリのような都市ではなく、ファッションウィークもないし、有名な文化的事例もない。紛争が起きると、「私はスイスだ」(*中立の立場という意味)と言う人がいる。同じように、シカゴにも中立性があると思う。僕らは皆自分が何者であるかを知っているし、それぞれの立場で世の中に貢献している。でも、自分たちが文化的に優れているか劣っているかなんて誰にも分からないし、時には良くないこともある。僕らはとても中立的なんだ。……他にも多くの意味があるんだけど、今日はこれくらいにしておこうかな。
Clarks Originals(クラークス オリジナルズ)とのコラボレーションシューズは、オリジナルデザインのFOB(タグ)が目を惹きますね。
キーホルダーや商品についている小さな記念品を残しておくことが大好きなんだ。だからAir JordanやNikeのスニーカーはタグをつけたままにしておいたり、フィッティングハットを買ったら、ステッカーを貼ったままにしておく。そういうものは芸術品になると思うし、キーホルダーも同じ。Clarksの小さなFOBは、僕にとってその靴を象徴するディテールなんだ。今回は遊び心を持ったものを作りたくて、金属製のFOBを付けた。これは「タグをつけたままにしておく」という行為を尊重する本当にシンプルなことで、とても素晴らしいアイデアだと思う。
あなたにとって良いデザインの定義とは何でしょうか?
古典的な答えとしては、良いデザインは問題を解決するもの。例えば、初期のiPhoneは当時あった他の携帯電話よりも何倍も優れていたから成功したんだ。では、僕らが作っているTシャツやキーホルダーなどのオブジェクトは、何を解決してくれるのでしょう? これらは人々の感情的な問題を解決してくれるんだ。僕らは皆、毎日全く同じ服を着ることができるにも関わらず、日によって違うものを着ている。色々な服を着て過ごすことは、その人自身を表現する行為だと思う。人を喜ばせたり、感情に訴えかけるようなものであれば、それは良いデザインだと言えるんじゃないかな。
現在進行しているプロジェクトや、今後やってみたいことを話せる範囲で教えてください。
現在進行中のものに関しては、さっき話した財布としても使えるカードホルダー。とてもシンプルなんだけど、財布って毎日使う個人的なものだから僕にとっては重要なプロダクトで、完成をすごく楽しみにしている。あと近いうちに実現したいのは、チームを作ること。僕には今パートタイムで仕事を手伝ってくれているドイツ人のデザイナーがいるんだけど、彼は僕のビジョンを理解してくれて、デザインに関する知識もある。まずは彼のような人と一緒にしっかりとしたチームを作りたい。将来の夢としては、ホテルのデザイン全般を手掛けてみたいね。
最後に、日本のファンへメッセージをお願いします。
まずは「ありがとう」。多くのアメリカのデザイナーは、日本での成功を夢見ているんだ。昨日も渋谷や原宿、新宿を廻っていたんだけど、街中で見るもの全てのクオリティが高い。常にそういった環境に置かれている日本の人たちが僕のクリエーションを評価してくれたり、自分の作ったものを好きでいてくれるというのは、本当にありがたいこと。なので、皆さんへのメッセージとしては心から「ありがとう」と伝えたいです。いつか自分のお店を世界のどこかに出すとしたら、第1号店は日本に出店したいですね。
BENJAMIN EDGARʼS I-BEAMS FOR BEAMS T
会期:8月23日(金)〜9月1日(日)
会場:ビームスT 原宿
住所:東京都渋谷区神宮前2-25-25 1F
TEL:03-3470-8601
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