東京のストリートシーンで愛される Dells Coffee のオーナー 高橋遥|On The Rise

関西出身という彼のルーツとさまざまなカルチャーとの関係性にフォーカス

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次代を切り拓くデザイナーやアーティスト、ミュージシャンといった若きクリエイターたちにスポットライトを当てる連載企画 “On The Rise”。第8回目となる今回は、店舗を構えるだけでなくケータリング出店なども行う珈琲屋『Dells Coffee(デルズコーヒー)』のオーナー 高橋遥にスポットを当てる。

関西出身の高橋遥が大阪時代から営む自家焙煎の深煎り珈琲屋『Dells Coffee』。2年間という制約付きで始まった東京・世田谷の実店舗内では、その日の天候や雰囲気に合うような音楽が流れ、壁やドア、棚などあちこちにお店に関連するアーティスト達の作品やレコードが飾られていた。彼の人柄を表すような土地にある店舗は既に閉店してしまったが、今後は世田谷にお店を出す以前に頻繁に行なっていたイベントでの出張珈琲を積極的に行いつつ、ここだと思えるような物件を探していくと言う。

本稿では、近隣住人はもちろん、音楽やスケートボード、ファッション、アートなど、さまざまなカルチャーにルーツを持つお客さんが数多く集まるこのお店の在り方や、『Dells Coffee』を営む彼のこれまで、そして多くの人が魅せられている人柄にフォーカスした。


Hypebeast:まずは珈琲に興味を持ったきっかけを教えてください

高橋遥:珈琲は元々ほんのり興味あって、家でネスカフェは飲むし、モテたくて小学生からレインボーマウンテンも飲んでましたね(笑)。そんな中で次第に街で遊ぶようになって、18歳とかの高校卒業したてぐらいかな。色んな人と出会っていくうちにSHRED(シュレッド)っていうショップにたどり着いたんです。大阪のスケートボードショップなんですけど、僕はスケートボードが好きで通っていたっていうより、そこの先輩たちがめちゃくちゃ格好いい人たちで、18歳の僕にはこんなかっこいい歳の取り方があるんやって衝撃で。その人たちから何かを得たくてずっと通っていたんですけど、ある日先輩たちから何が好きか、何でお金を稼ぎたいのかを質問された時があって、そこで咄嗟に頭に浮かんだのが珈琲やったんです。

そこからすぐに珈琲を始めたんでしょうか?

そう。そしたらその話の流れで珈琲に興味があるならって、兵庫県・加古川市にあるFactory No.079(ファクトリー ナンバー079)というショップで珈琲を出しているわっしーさんを紹介してもらって、その日その足でお店まで挨拶しに行ったんです。その方は後にMyRoomCoffee(マイルームコーヒー)というお店を始めるんですけど。その時に、わっしーさんがこれから自分のお店を出すことへのワクワク感だったり、珈琲を生業とする楽しさを教えてくれて、珈琲屋への関心がグッと深まったんですよね。そうやって楽しくお話しさせてもらう中で、次は当時僕が住んでた実家の近くにいい珈琲屋があるから行っておいでって言われて。

そこで紹介してもらったchillin’ coffee & terminal(チリン コーヒー & ターミナル)には後日遊びに行かせてもらったんですけど、そういった感じで数珠繋ぎのように珈琲に関わる色んな先輩方と出会っていったんです。で、紹介された通りばっちりハマって通うようになったchillin’ coffee & terminalでは、オーナーの山崎さんにスペシャリティ珈琲やったり、ハンドドリップの淹れ方はもちろん、当時知らなかったような最高な音楽や人生の教訓まで、色んなことを教えてもらいました。ワークショップに応募してハンドドリップを学ばせてもらって。その時に覚えたハンドドリップをすぐさま形にしたいという思いもあって、それ以降イベントなどでケータリング珈琲を出すようになっていったんです。

すごくアクティブですね。イベントにはどうやって出店するようになったんですか?

その当時は大学生やったんですけど、遊ぶ先で顔合わすようになった友達の1人にシルクスクリーンを本気で生業にしようと動いていたスケーターの子がいて。彼が自分の作品を展示出来るようなポップアップを企画していて、そこで珈琲を出せる人を探しているっていう。まじか!ってくらい2人のタイミングが重なったんですよね。それが今や関西を代表するシルクプリント屋 wanna studio(ワナ スタジオ)のこうじって友達なんですけど。その時、俺はハンドドリップも覚えたてで、人前でももちろん淹れたことなかったんですけど、「珈琲淹れるの得意やから俺にやらせて」って嘘ついて。その時が自分で屋号を持って珈琲を淹れる最初のタイミングでした。イベントもお互いの大学近くっていうのもあって意外と大盛況。で、さらにそこに来てくれたお客さんやフライヤーを置いてくれたお店を通して、他からも徐々に出店オファーが来るようになったんです。

なるほど。大阪で基盤を作っていったんですね。

そうやね。そもそも東京に出るつもり当時は無かったし。生まれた場所で何の疑問もなくずっと活動してたって感じです。

それは1人でやってたんですか?

いや、当時は2人で。もっと遡ったら3人なんですけど、話すと長くなるのでこれはまた今度にしましょう(笑)。

そうか、他にもメンバーがいたんですね。東京へはどういった経緯で?

当時のメンバーと卒業してから大阪に店出すって話もしてたんやけど、大学卒業してすぐに店を始めるより会社員もちゃんと経験した上で色々判断したいとも思ったんですよね。だから、そいつと就活サイトの検索のとこに“コーヒー”とだけ検索かけて、良さそうやなと思った珈琲関連の会社にひたすら応募して……その結果、エスプレッソマシンのエンジニアとして採用されたんですよ。

これは技術も得れるし激アツやと思ったら、その配属が東京で。マジで?みたいな(笑)。まさか大阪を出るとは、その時は考えてもいなくて。それもまあ2年で辞めるんですけど、それがきっかけで東京に出てきて、むっちゃ視野だったり、モノの捉え方が色々と変わって。それがまだ新鮮で、だから会社を辞めた今もこっちで活動しています。

2年間は会社員として働いていたんですね。

うん、2年ちょっとですかね。

その間は珈琲屋としての個人的な活動は何かされていたんでしょうか?

そうですね、Dells Coffeとしての活動も会社の有給を使ったりして、オファーいただいた先で出店させてもらっていました。東京に来てからも大阪時代同様に時間がある時はとにかく遊びに出掛けていたから、人と出会う場は十分に多くて。そういった場所で気の合う先輩らと出会ったり、大阪の友人や先輩たちと繋がっている人と東京で偶然知り合って、グッと仲良くなった先でその方がまた誰かを紹介してくれて……という感じが続いて。次第に東京でもイベントに呼んでもらうことが増えていきました。

そうなんですね。次々にまた誰かが誰かを呼んで……っていう感じですね。

そんな感じやったすね。そういう感じで広がっていったのもあるし、大阪から東京に行く時に、お世話になっていた先輩に「友達がやってる珈琲屋があるから顔出しておいで」って言われたのが、初台のG☆P COFFEE ROASTER(GP コーヒーロースター)で。一度顔を出してからは、週末はどこ行くにもまずはG☆P COFFEE ROASTERに行くって感じになっていて。その時に珈琲のことも色々と教えていただいて、今でもたまに相談させてもらったりします。そんな風に通っていく中で、店主の豪介さんが東京のコーヒーフェスや大きなケータリング会場で人手が必要な時にスタッフとして呼んでくださったんです。東京に来て右も左も分からない頃に、人との出会いの場に呼んでくださったことは、今に繋がる本当に貴重な経験でした。

自分で焙煎し始めたのはいつからですか?

東京来てちょっとしてからですかね。大阪から東京に行って、最初住んだのが千葉の新松戸ってとこにあるコーヒーマシンエンジニアの会社寮で。会社の家賃補助で月2万とかで住めたので、有難かったんですけど。でも、当然その寮の部屋では焙煎出来んくて、建物自体がその会社関係だったから副業もバレたらあかんし。けど、焙煎技術は会社では学べないことで、自分で空き時間にやるしかなかったから家賃補助を捨てて。たまにお手伝いをさせてくれていたG☆P COFFEE ROASTERに通いやすい東中野に引っ越しを決めて、そこから休日だったり帰宅してからの時間で手探りで焙煎をやりだして。それから今に至るって感じです。

その流れで会社を辞めようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

辞めようというか、入社する前からいつ会社を辞めるかはずっと考えていて。ある程度スキルを身につけて、珈琲マシンへの理解が深まったらすぐさま会社を辞めてお店を持つために動こうと思っていました。当時は若くして自分の店を持つことになぜかステータスを感じてたから、毎日お店を出せずにいることを“あ、また一日死んだ”みたいに感じていて、なんかだいぶ生き急いでましたね。で、会社を辞めるんやけど、辞めてすぐにコロナが始まった感じでしたね。

なるほど……。辞めてすぐには本格的に動けなかったんですね。

そうですね。当時は知人や友人が自分が焙煎した珈琲に興味を持ってくれたり、その時期は皆おうち時間で家にいるから、珈琲豆の需要が大きくて。本格的に動けてはいないものの、誰かのために焙煎が出来ている時期ではありましたね。

その中で、お店を出すきっかけになったのはいつだったんでしょうか?

会社辞めてからコロナ禍を過ごしていて、東京来て4年ぐらい経って何もアクション起こされへんねやったら、東京は離れていいのかなと思っていたんですよね。それで、年内に何も出来ないんだったら、新たにどこか知らない土地に引っ越そうかなと考えていて。福岡とかの物件も見てました。そんな時に、今回の店舗で一緒だったYoung(ヤング)の誠也くんから短期でポップアップが出来るという話がタイミング良く流れてきて。東京でアクション起こせるやんと思い、2つ返事でやろうとなったんです。

それが今の店舗なんですね。

それが、そうではなくて。場所を貸してくれるって言ってくれていた方とやり取りしているうちに話が拗れてしまって、ポップアップ自体がおじゃんになってしまったんですよね。でもその時、すでに2カ月近く準備に期間を費やしていたし、さあやるぞ、というエンジンがかかっていたこともあって。話がなくなってから、誠也くんともすぐにどこかやれるところを見つけて始めたいという気持ちが合致して、偶然見つけた2年の定期借家の物件をトントン拍子で契約しました。

世田谷の店舗を始めるまでの一通りをお話ししてもらったと思うのですが、18歳くらいの時から始めて途中で辞めたくなったりは?

それが無かったんすよね。元々3人でやってた時期もあったけど、そこからメンバーが抜けて辛かったり、ちょっと苦しい時期もあったけど、それでもなぜか珈琲という軸はブレずにあって。言わば3人から1人になるって、もう解散したも同然じゃないですか。けど、そうなった時も頭の中は珈琲しかなくて、どうやって活動を続けるかだけを考えてましたね。僕も何でこんな続いてるのか分からないんですけど、ずっと珈琲が好きです。

今取り扱ってる豆とか、どれが深煎りで浅煎りでとか、そういう珈琲の知識は全部独学なんでしょうか?

自分のこれが独学って言うのかは分からないんですけど、とにかく珈琲はずっと興味があって。学生時代は大手珈琲チェーンも、ローカルの自家焙煎珈琲ショップでのアルバイト経験もしたし、休みの日はカフェとかも色々気になる場所に行ってみたりするタイプで。その先々で自分から質問したり、日常会話やオペレーションの所作とか目で見て話して聞いたりして、それが今に活きてるのかなと思いますね。そこから自分の好みの味を明確に表現するために、脳内で仕上がりかけたやり方を打ち破るくらい変わった抽出を試したりもしました。普段吸わないタバコや葉巻との相性を探ってみたりもしつつ、紆余曲折を得て現在のドリップや焙煎の仕方に落ち着きましたね。

遥さんが豆を選んでいる基準はありますか?

もちろんあります。1人でやってる分、自分の感覚的な基準をクリアしないとまず店頭に並べられなくて。それは店内で使っているカップ&ソーサーも、流すBGMも全部似たような判断基準があるんです。それがカップロゴにも刻印している“bittersweet”ってフレーズで。元々はThe Chairmen of the Board(チェアマン・オブ・ザ・ボード)というバンドの楽曲タイトルで、曲自体が好きでずっと聞いてたんですけど、そのフレーズから連想したイメージが自分の思うDells Coffeeのブランドイメージと妙にハマった気がしたんですよね。

具体的に言うと、深くて重たいトロッとした質感だったり、まったり芳醇で甘くコク深い印象。自分の出したい珈琲はこのイメージやってなってからは、可能な限り色々な産地の豆は仕入れるけど、そのイメージに合うかどうかが一番の基準にしていて。とにかくベースには“bittersweet”を思ってる。

Dells Coffeeでは産地名でメニューを書いていないことも、そういったお話に繋がってくるんでしょうか。

そうですね。産地で選ぶっていうよりは、自家焙煎のお店って今やどの街にもあると思うけど、少なくともその分の珈琲の選択肢があるというか。「グアテマラあるなら、グアテマラで」って言われても、収穫のあれこれで全然ちゃうし、それが同じだとしても、焙煎士がその豆をどう焼いているかで変わるわけで。何が正解かは分からないけど、来てくれたお客さんとの会話や気分、その日の気候や空気感を自分なりに意識して、豆をチョイスすることが大切だと思ってます。

お客さんも「さっきラーメン食べてきてんけど食後に良さそうなの一杯」とか「デート前に気分上がりそうなやつ濃いめで」と言って頼んでくださる方もいて。そういうことを伝えてくれるのは嬉しいし、やりがいを感じます。だから、正直産地とか、物を選ぶときにはまず伝えんでもいいかなと思ってます。

メニューに3種類(珈琲、冷珈琲、カフェオレ)しか記載がないのは何故でしょうか?

それこそ今言ったことで、普通は焙煎しているお店って産地が書いてあって、この珈琲は酸味がどうでこうでって詳しく説明されてて。自分の店は喫茶店っていうよりは豆屋さんのカテゴリーとしてやっていて、それやのに産地を書いて無いのは、やっぱり国の名前とか、産地を聞いたときにお客さんが味のイメージを持って、それで頼んでいただいてもなんか勿体無い気がして。それやったらお客さんと今日はどういう気分か会話して、今こんな味の珈琲あるよって提案するとか、その場でブレンドして求めているテイストに近づけてみたりとか、そんなんが良いなって思ってるんです。

Dells Coffeeという名前の由来があれば教えてください。

実家でオカンが棚の奥の普段見えへんとこにレコードを保管しているのを見つけて、その中の一枚にThe Dells(ザ・デルズ)っていうアメリカの音楽グループのレコードがあったんですよ。それを小学生とかの頃かな?見つけて、「オカンこれ何ー?」とか言うて。懐かしそうにしてるオカンと、なんかわからん魅力に惹かれて興味津々の僕がいて。珈琲屋にどんな名前つけようってなった時に、そのレコードを実際聞かせてくれたことがきっかけで徐々にブラックミュージックを好きになったっていう過去を思い出して、まんまDells Coffeeにしました。Dellsの“Dell”は“鬱蒼とした、人里離れた、じめじめした”って意味があって。それもなんかええやんポイントですね。

東京のストリートシーンで愛されるデルズコーヒーのオーナー 高橋遥|On The Rise Dells Coffee Haruka Takahashi Interviews

Asuka Ito / Hypebeast

お店で音楽を流してるのは、遥さんの経験からも音楽と珈琲はセットというイメージがあって?

それはそのタイミングによってですが、珈琲を店で飲む場合、どんな空間でっていうのは大切な要素やし、選んでる音楽って、その店の店主の人となりが少しだけ分かる気がしません?僕の店では“どんな人間が、どんな空間で、どんな音楽を流して、どんな珈琲を出してるのか”ってところに興味関心を持ってもらえたら嬉しいなって思っていて。自分ありきとは言いづらいですけど、一番店主の気分が伝わる部分なのかなと思って音楽を流してます。

なるほど。私の解釈になってしまうかもしれないのですが、音楽ってDells Coffeeに欠かせないイメージだと思っていて。そういうイメージだったりは実際に意識してやっているんでしょうか?

えっとね、音楽に限らずなんやけど、Dells Coffeeの実店舗は僕が豆を焼いて、淹れた珈琲を紹介する場みたいなイメージで。自分が焙煎をしてる限りは、僕が焼いた豆ってこういう味で、こういう風に淹れましたっていうのを知ってもらう場として持ちたくて。自分は喫茶店のマスターじゃなくて、焙煎士やと思ってやっているんです。自分が何通りも選択肢のある中から今Dells Coffeeとして選んでいるものは、全てこれまでがあったからで。お客さんにはそう言った話はしないけど、話さずともお店の空間や自分の雰囲気から何か伝われば良いなと思ってます。

大袈裟かもしれないですが、Dells Coffeeは僕の趣味、今日までの人生と生活、そういうのの化身で、自分でしかないというか。もちろん、手助けをしてくれる先輩、友人、支えてくれるお客さんたちも全部ひっくるめて、バックボーン込みでの一杯の珈琲を出してる場だと思っていて。だから、音楽はその要素の1つって感じかな。話すと長くなってしまいましたが、気楽に楽しんで飲んでもらいたいです。

世田谷にあった実店舗は、遥さんの人柄をまさに感じられるような空間だったと思います。地域にも根ざしたお店だという印象があるのですが、実際に場所へのこだわりなどはあったんですか?

いや、それがそもそも始める時は聞いたことも無くて。世田谷区は知ってたけど、世田谷という名前の駅があって、路面電車が走っているとは思っていなかったですね。タイミングとしてたまたまそこにテナントがあって、変に強気でどこでやってもやれるさ!って思ってたから、その時は地域で悩まんかったし、下調べもせんかった。珈琲やし、東京やったら人が住んでればどこでやっても同じ趣味で同じ感性の人が集まってくれるかなって思ってたのもあったから、どこでも良くて。

結果、最高の街やった。ボロ市通りにあって、地域のお祭りにも、先輩商店のコミュニティにも参加出来て、皆がほんま優しくて、街のお客さんも、いつも来てくれる方たちも最高で。毎日楽しく濃い日々を過ごせました。

世田谷にある店舗の最終日にもお伺いしましたが、Dells Coffeeのお客さんや関わる全員が遥さんとそのお店を好きなんだなとすごく感じました。今はイベントでのケータリングを主として活動していると思うのですが、最後に今後の展望などが決まっていれば教えてください。

今は一旦店を終えてのインプット期間かなと思っていて。元々自分で色々なところに足を伸ばして動いてきたんですが、お店をやっていた2年間は店舗で待つ側だったので、ひとまずあちこち出かけたいですね。それが終わった後、2023年の秋か冬ごろにはまた店舗を再開する予定です。

次はついに自分1人で、ポップアップの延長ではなく、僕の理想のお店を表現出来るのかなと思っていて、不安もある一方で、ワクワクしています。それまでは全国、なるべく沢山の街に珈琲を淹れに行くので、そこで出会うはじめましての方や、まさかの土地での再会に期待しながらDells Coffeeを続けていこうと思います。

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