Sole-Searching : adidas Kobe 2 特集
バスケットボール殿堂入りを果たしたコービー・ブライアントの黒歴史(?)的バッシュをご紹介
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Sole-Searching : adidas Kobe 2 特集
バスケットボール殿堂入りを果たしたコービー・ブライアントの黒歴史(?)的バッシュをご紹介
毎月1足、歴代の名作スニーカーの歴史を紐解く企画 “Sole-Searching”の第4回目では、2001年にリリースされた〈adidas(アディダス)〉Kobe 2を特集。2020年に不慮の事故で他界したNBAのレジェンド Kobe Bryant(コービー・ブライアント)の〈adidas〉最後のシグネチャーであり、バスケファンやスニーカーヘッズの間では、いわく付きの1足として記憶されている。
このKobe 2は、前作のKobe 1と同様にドイツの高級車「Audi(アウディ)」TT Roadster(TT ロードスター)をモチーフとしており、その近未来的なデザインが人々の度肝を抜いた。Kobe 1は、Bryantがブランドを去った後も、Crazy 1と名称を変え、ちょこちょこ復刻リリースされているので、当時を知らないスニーカーヘッズにも馴染みがあるかもしれない。しかし、満を持して世に送り出されたはずのKobe 2は「越えてはならない一線を越えてしまった」というか、前作を超えようとして、結果的にやり過ぎてしまったのだろう(個人的には嫌いではないが)。
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Vince Bucci/Afp Via Getty Images
2001-2002年シーズンの開幕戦にて、アメリカ国旗をアッパー全体にプリントしたカラーウェイで、この魔物をお披露目したBryant。2001年12月に市場に投下されたが、バッシュはおろかスニーカーさえも疑わしいビジュアルは、世間にはあまりにも早すぎたか、発売数カ月後には、アウトレットに流れたとか流れてないとか。某スニーカーサイトでは、Bryantのワーストバッシュとしてランキングされていたり、別の意味でわざわざ特集が組まれることの多いモデルだ(繰り返しになるが、個人的には嫌いでない)。2000年代前半は他ブランドからも、負けず劣らずクレイジーなバッシュがリリースされており、後から考えると、そのパイオニア的な存在だったのかもしれない……。
案の定、Bryant自身もKobe 2を気に入っていなかったようで、2001-2002年シーズンの「NBAファイナル」では、過去モデルのKobe 1を着用して試合に臨んでいる。現在のNBAでは、シグネチャーシューズを持つ選手が、何らかの理由(現行モデルに不満があるなど)で、旧作を履くことがあるが、当時そのような事態はまあまあ珍しかった。
現役引退後の2019年に公開されたインタビューでKobe 2について聞かれたBryant。「Kobe 2?どの靴?Nikeのじゃないよね?まさかもう1つの会社の方?」と苦笑いし、「それは数に入れないでよ(笑)。そのおかけで自分自身でデザインを監修しなきゃいけないことを学んだよ」とコメントしている。
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Vince Bucci/Afp Via Getty Images
“もう一方の会社”のKobe2が決定打となったか、なっていないがは定かではないが、2002年の夏にBryantは〈adidas〉との契約を破棄するために、なんと800万ドル(約8億7,600万円)を支払っている。解約の規定として、向こう1年は特定のシューズメイカーと契約を結ぶことができなかったBryant。そのため、2002-2003年シーズンはスニーカーFA(フリーエージェント)として、〈Converse(コンバース)〉から〈Reebok(リーボック)〉〈AND1(アンドワン)〉〈Nike〉〈Jordan Brand(ジョーダン ブランド)〉まで、さまざまなブランドのバッシュを履き倒した。そして、2003年6月に〈Nike〉と契約し、2005年に同社からシグネチャーモデルが発表されている。
誕生から20年経った今見てもブッ飛んだルックスの〈adidas〉Kobe 2。たとえワーストバッシュと罵られようと、選手本人に“なかったこと”にされたとしても、一生復刻されなかったとしても、紛れもなく史上最も記憶に残るスニーカーの1つである(3度目になるが、個人的には嫌いでない、むしろ好きかもしれない)。