Interviews:ラッパー 18scottが1stソロEP『Northside Love』で紡いだ地元藤沢と家族への愛

漫画家である父親から受けた影響やCreativeDrugStoreとしての活動、そして“最初で最後の18scottのソロ作品”として制作に取り組んだ理由を訊く

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神奈川・藤沢を拠点に活動するラッパー/ビートメイカー 18scottがアクセルを踏み走り出した。現在28歳の彼は、10年近いキャリアがあるにもかかわらず長らくソロ作品を発表していなかったが、今月、待望の初ソロEP『Northside Love』をリリース。このため日本国内における知名度は現時点ではそう高くないかもしれないが、その実力とセンスは自然体な姿勢と素直な感情を音楽に重ねて鳴らした今作を聴けば間違いないものだと分かるはずだ。

これまでメディア露出があまりなかった彼に話を聞くべく、『HYPEBEAST』は彼の地元藤沢を訪れ、漫画家である父親から受けた影響や、CreativeDrugStoreとしての活動、そして引退が脳裏にありながら制作に取り組んだという『Northside Love』で紡いだ地元と家族への愛についてを語ってもらった。

HYPEBEAST:生まれも育ちも藤沢とのことですが、どのような幼少期を過ごしましたか?

18scott:親父が漫画家だからカルチャー全般に精通しているような人で、いろいろな音楽を聴かせてくれた中でハマったのがヒップホップでした。小学2~3年生の頃で、最初はKREVAさんとかRHYMESTERさんを教えてくれましたね。この時、小学生なりにファッションも好きだったんですけど、ヒップホップは見た目的にも1番カッコよかったんですよ。それと同時にプロレス、特にWWE(*アメリカのプロレス団体)に鬼ハマりしてましたね。小さい頃はこの2つに傾倒しすぎたし、漫画家っていうアナログ家庭で育ったからハイテクなものに触れずに育って、世の中の少年たちが通ってきたアニメやゲームがほとんど分からないんですよ(笑)。親父の仕事場にはよく遊びに行っていて、大学生の頃はアシスタントとしてベタ塗りやスクリーントーン貼りをしてました。もしラッパーにならなかったら、漫画家かプロレスラーになっていたかもしれません。

父親からの情報量が凄そうですが、それとは別に自分でディグることはありましたか?

いわゆる最新曲を親父に教えてもらったら、その後に近所にあった中古CD屋に行って昔の作品を探して買い漁ってましたね。今のようにSpotifyやApple Musicみたいなサブスクはないし、YouTubeもあってないような時代だったから、興味のあるアーティストは片っ端から買って聴いてました。例えば、KREVAさんの棚に自分の持ってないCDが並んでたら全部買うみたいな。小中学生だしお金なんて全然持って無かったんですけど、親父は興味があるものに対して援助してくれる人でした。実はお爺ちゃんは写真家で、親父の兄貴はゲームクリエイターで、そういう家系なんですよ。だから親父は「(こいつはどう足掻いでも普通の仕事に就かないだろうな)」って、興味の持ったものに対して出来る限りサポートする考えだったんだと思います。

ちなみに初めて買ってもらったCDは?

SEAMOさんだった気がしますね。

影響を受けたアーティストはいますか?

日本だとKREVAさんとRHYMESTERのMummy-Dさんの2人に影響を受けていて、最初期の俺のラップなんてただのモノマネでした(笑)。海外だと完全にJ. Cole(J・コール)ですね。彼ってトラップ系のアーティストが出始めた頃に筆頭株のLil Pump(リル・パンプ)とビーフしてたんですけど、最終的に「トラップの影響でリリックよりもノリが重視されるようになって、俺が好きだったヒップホップは死んだ。でも、よくよく考えたらヒップホップはパーティーミュージックだし、自分の価値観を提示して新しいものを生み出していく文化だから、ヒップホップを否定していたのは俺だって気付いた。今は彼らをリスペクトしてるよ」って言ってて、作品もカッコいいのに姿勢もカッコいいなって思いましたね。5月にリリースしてた『The Off-Season』は2021年上半期で1番聴いて、あと今年はBaby Keem(ベイビー・キーム)とRuss(ラス)をよく聴いてました。

神奈川の湘南地域はヒップホップやサーフ/ストリートカルチャーのイメージが強いんですが、藤沢にもそのムードはありますか?

ストリートカルチャーが強く根付いてる街ではありますね、間違いなく。DLiP RECORDS(ドリップ・レコード)ってフッドスターが居て、彼らから足を突っ込む人が多いと思います。

今回のEPの冒頭を飾る“Born&Raised”では、「気付いた時はもうすでに書いてた歌詞」というリリックがありますが、いつ頃からでしょうか?

中学2~3年生の頃で、落書きの1種としてKREVAさんの好きなリリックを自分なりに書き換えたり、漠然とラッパーになりたい気持ちがあったんだと思います。それに通っていた中学校が異常で、中学2年生の時点でUNDERCOVER(アンダーカバー)、A BATHING APE®️(ア・ベイシング・エイプ)、STÜSSY(ステューシー)とかを着てる同級生が普通にいて、そいつらがヒップホップを聴いていたんですよ。そのうちの1人がin-d(THE OTOGIBANASHI’S、CreativeDrugStoreのラッパー)で、同じクラスにはなったことはなかったんですけど、“ヒップホップ好きでファッションがイケてる奴”って認識で知り合いましたね。全国共通でスニーカーとバックパックが唯一制服でファッションの主張が出来るアイテムだと思うんですけど、俺もin-dもBAPE STA™を履いてSTÜSSYのバックパックを背負うみたいな。それで仲良くなって、その後にin-dが高校でBIMと出会って、高校2年生の時に3人でクルー MAD VIBES CASTを組むことになりました。

MAD VIBES CASTを組んだということは、なんとなくラッパーで食べていくことを意識してたんでしょうか?

してはいましたけど、そもそもどうすればラッパーになれるか分からなかったんですよ。当時はクラブで夜な夜なイベントがあったことすら知らないし、地元の先輩がラッパーだったとかでもなく、画面の向こう側の人たちに憧れて始めた感じだったので、何が分からないのか分からない状態。だからin-dとBIMに誘われた時は、同じ志を持ってる奴と情報を共有したかったし、そこから繋がるものがあると思ったので。

当時は「高校生ラップ選手権」は無かったですもんね(*2012年スタート)。

ULTIMATE MC BATTLEみたいなMCバトルの大会はあって、3人でB BOY PARKとかも遊びに行きましたけど、一切バトルに興味がなくて。バトルをラッパーの入り口として捉えてなかったから、琴線に触れなかったんです。

3人で曲は作りましたか?

一応ビートと歌詞を用意してスタジオに集合はしてましたけど、マジでレコーディングの仕方なんて1mmも分からないから、レコーディングスタジオじゃなくてリハーサルスタジオに入ってたんですよ。当然、レコーディング機材なんてないから天井にある集音マイクみたいなので無理やり録音して、なんとかCDに落とし込んで「やったぞ!」みたいな(笑)。当時はそれだけでテンションが上がってましたね。今はiPhoneがあれば録音なんて簡単に出来るから、今の子たちが羨ましくなっちゃいます。

CreativeDrugStoreのメンバーではあったんでしょうか?

CDSに入ったのは大学生になってからで、2年くらいで辞めました。もともとは俺が大学受験するためにMAD VIBES CASTを離れて、その間に2人が始めたのがTHE OTOGIBANASHI’Sなんですよ。最初は俺もTHE OTOGIBANASHI’Sに合流するみたいな流れだったんですけど、当時はちょっと尖ってたしソロ思考だったので加入せず、そのうちCDSが始まってBIMに誘われて入った感じですね。CDSが雑誌 Ollie(オーリー)に取り上げられて全国区になり始めた時くらいに辞めました。でも未だに連絡は取り合って飲んだりしてて、幼馴染みたいな存在ですね。

ということは、大学入学を機にラッパーとしての道を歩み始めたと。

小学校から高校までずっとバスケをやっていて、大学でもやるつもりだったんですけど、入学直前に足を複雑骨折しちゃって半年くらい松葉杖生活だったんですよ。だから部活に入るタイミングを見失って、これきっかけにバスケを辞めて音楽を本格的にやろうと決意しました。とりあえず家でレコーディングが出来るように機材を一式買って、それから曲を作るようになって、ライブも出るようになりましたね。

その頃から18scottを名乗られていますが、理由は?

Scott Hall(スコット・ホール)って好きなプロレスラーの名前を拝借して、18は単に数字と英語のバランスがカッコいいと思って組み合わせました。意味有りげな感じを醸し出してるんですけど、マジで特に意味はないです。

世の中に初めて曲を発表したのは?

CDSのポップアップで販売してたコンピの1曲で、VaVaくんとかBIMとかと作った曲が初めてだと思います。その後にJUBEEくんと2MCで1枚アルバムを作りましたけど、Spotifyとかにはない物販限定ですね。

CDSを抜けてからは何を?

自主的にパーティーとかに顔を出すようになって、中野のheavysick ZEROで今もやってるOll Korrect(オールコレクト)ってパーティーに遊びに行ったらレギュラーで出るようになりました。CDSにいた時はいっぱいいっぱいで、どうパフォーマンスすればいいかも分からないくらい冷静じゃなかったんですよ。でも1人で動くようになって、自分のスタンスで冷静にライブを披露できるようになって、場数を踏めたのは大きいですね。それに必然的に出会いも増えて、その中で出会ったのがSUNNOVAさん(プロデューサー/トラックメーカー/DJ)です。とりあえず1曲作ることなって出来たのが“PHONE CALL”で、手応えもあったし評判もよかったからアルバムを作ることになり『4GIVE4GET』が生まれました。25歳で初めて公に作品をリリースしたので、めちゃくちゃ遅いですね。

“PHONE CALL”をきっかけに僕らも知り合っていますが、やはりこの曲にパワーはありましたか?

爆発力があったわけではないですけど、Twitterとかで拡がっていくのが分かりましたね。だから18scottとしてソロで活動するよりも先に18scott x SUNNOVAって名義が主な活動になって、EP1つとアルバム2つを出してます。SUNNOVAさんと『4GIVE4GET』を作る時点で2ndアルバム『PAISLEY』の制作は決まっていて、本当は2019年中にリリースする予定だったんですけど2020年になっちゃいました。

このタイミングで初のソロEP『Northside Love』を出すことになったきっかけは?

2020年7月に自信を持って『PAISLEY』をリリースしたら思ったより伸びなくて、2021年1月くらいまでぼんやりラッパーを辞めようと思ってたんです。でも活動し始めた時からソロで1枚出すのは目標だったから、EPなりアルバムを1枚完成させてから辞めようと思って制作を始めました。“最初で最後の18scottのソロ作品”を作る終活の気持ちでいたので、自分の根底にあるものを丸々1枚使ってラップしようと考えていたら、ちょっと前にSoundCloudにアップしてた地元讃歌の“街風”の反応が良かったので、この曲を軸に作ることにしたんです。

タイトルの『Northside Love』の意味は?

生まれ育った藤沢駅の北口を意味していて、1枚目の作品を『Northside Love』にするのはずっと前から決めてました。

藤沢への想いが強くある中で、1曲目の“Born&Raised”には「Fujisawa north side RepresentとかじゃないMy Style」というリリックがありますが。

俺は親父の影響でヒップホップに出会ってるから音楽的なルーツは東京にあって、藤沢は単純に生まれ育った街でヒップホップやストリートカルチャーを学んだわけではないんですよね。ラッパーとして藤沢に何も還元していないし、DLiP RECORDSさんって絶対的なカッコいいフッドスターもいるから彼らを差し置いてレペゼンするなんておこがましい。ただ、藤沢で生まれ育ったのは事実だし、俺なりの地元への想いがあることは伝えたくて。「別に固くならずにレペゼンすればいいじゃん」って言われるかもしれないですけど、地元と先輩たちに対する敬意としてレペゼンを使うにはまだ早いですね。

“Family First”では家族への愛が強く感じられますが、何かエピソードはありますか?

家族をテーマにした楽曲は絶対に入れようと思ってたんですけど、最後までリリックが書けなくてギリギリに出来ましたね。俺は比較的恵まれた家庭環境だったんですけど、ヒップホップって環境に恵まれなかった人がのし上がることを良しとする文化が少なからずあるじゃないですか。そういう人たちが周りにもいる中で、同じようなバックボーンが欲しいとコンプレックスを抱く時期があったんです。でも改めて過去を思い返すと、結局、恵まれた家庭環境がストレートに俺のアドバンテージになってるから感謝すればいいと分かったんですよ。家族への感謝の感情を包み隠さずストレートに曲にしたのが“Family First”で、小っ恥ずかしい気持ちもありますけど家族は1番大切なので。

芸人の間でも厳しい環境で育った方がおもしろいと言われたり、USではドラッグやアルコールとの関連性が強かったり、実生活がドラマチックであった方がいい風潮や美德はありますよね。

そういう音楽も好きだから聴きますけど、自分にはそのバックボーンが無いからやるとなると話は別ですね。無理して無い過去をラップするよりも、俺にしか出来ないことを表現する方が良いって気付いたんです。全員が全員、辛い過去やバックボーンを持ってる訳でもないし、順風満帆というか恵まれた環境で育ったがゆえに悩みを抱えている人もいるだろうし、悩みって大きさじゃなくて人によって違うものじゃないですか。だから正直に自分の生きてきた道をリリックにして素を出せば、聴いてくれた人たちに何かが伝わるだろうと思って作りました。

EP全体を通して藤沢や家族に寄り添ったパーソナルな内容ですが、節々で存在しないはずの思い出が蘇るような瞬間がありました。

誰しもに地元と家族はあって普遍的なものだから、俺の個人的な話をラップしてもリンクする箇所が生まれてくるというか、リアクションを見るとそれぞれの地元や家族に当てはめて共感してくれてるみたいですね。ヒップホップってJ-POPや邦ロックに比べて極端にパーソナルな視点のリリックが多いんですけど、時として漠然と抽象的なものを歌う歌詞よりも響くときがあるんですよ。それが日本語でヒップホップをやる理由の1つだと思ってます。映画を観てる感覚に近くて、完全に他人の人生なんだけど端々で自分に通じるところが見え隠れして、自分と照らし合わせてグッとくるみたいな。逆に、それに対して自分がどうだろうとか考えるきっかけにもなる。『Northside Love』を作るうえで、リリックを見なくても何を言ってるか分かるようにしようとか、表現方法として哲学的なものは避けようとか、言葉がシンプルに心に入ってくるようには意識しましたね。かといって単純すぎたらおもしろ味がないし、ラッパーとしてのスキルも魅せたかったし、このバランスが難しかったんですけど最終的にいい塩梅になったと思ってます。

作品で1番チャレンジしたことはありますか?

恵まれた家庭に生まれた個性をアドバンテージとして自覚しつつ自分をさらけ出すこと、ですね。別に大富豪の家に生まれた訳じゃないですけど(笑)。いわゆるヒップホップ的な成り上がりではなくて、「各家庭にそれぞれの事情があって、俺の場合はこうだった」って言っただけのピュアなことで、だからこそ時間が掛かりましたね。

人間は自己評価のために自分と他人を比較してしまう生き物と言われていますが、その壁を乗り越えたと。

聴き手が体験したことのない映画のような人生を語るヒップホップも必要だけど、いわゆる普通の人生に寄り添うヒップホップがあってもいいのかなって。特に“街風”はそういった声を結構もらったんですよ。『Northside Love』をリリースしてから思ったのは、俺の音楽を聴いてくれる人って、普通に社会人として働いていたり、家族がいたりする人の方が多いんですよね。地元と家族って日々の生活に追われてると忘れがちで、何かのきっかけがないと意外に思い出せなかったりするから、そういう人たちが聴いて地元のことを思い出して実家に帰ったり、俺の楽曲を機会としてくれると嬉しいですね。

今回のインタビューで、『Northside Love』を“最初で最後の18scottのソロ作品”とおっしゃっていましたが。

音楽作ることが半分趣味みたいなものだから、作ってるうちに趣味が無くなるのはイヤだし辞めるのは難しいなって思いました。精神的な浮き沈みで辞めることを考えちゃいましたけど、音楽は俺にとって切っても切れないものだと改めて分かったし、結局また新しい曲を作り始めちゃってるんで(笑)。

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