東京発ストリートブランドの系譜を継ぐ ALONE デザイナー 神谷龍 | On The Rise

東京ストリートの次世代を担う注目のブランド〈ALONE〉神谷龍のルーツに迫る

ファッション 
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次代を切り拓くデザイナーやアーティスト、ミュージシャンといった若きクリエーターたちにスポットライトを当てる連載企画 “On The Rise”。第4回目となる今回は、2016年にTシャツ1型からスタートし、2018年より本格的なコレクションを展開するブランド〈ALONE(アローン)〉のデザイナー 神谷龍をフィーチャーする。

1980年代半ばから1990年代初頭にかけて、東京に住むティーンエイジャーにとって“Made in USA”の洋服を身に着けることが何よりもクールだった。彼らは地元の仲間や古着屋のオーナー、セレクトショップのスタッフ、映画などからそのエッセンスを吸収し、日本独自の“アメカジ”と呼ばれるスタイルを創り上げた。そして1990年代以降、アメリカのカルチャーをオリジナルの解釈で表現した東京ストリート発のファッションブランドが数多く誕生した。その多くは今もなお強い影響力を持ち続け、現在世界中でスタンダードとなったストリートスタイルの源流となっている。今回取り上げる〈ALONE〉のデザイナー 神谷龍は、先人たちと同様10代から20代の多感な時期に“アメカジ”の洗礼を受け、そのスタイルを基盤としたブランドをローンチした。〈ALONE〉がユニークなのは東京ストリートブランドのパイオニアたちのスタイルを正統に継承しつつ、彼らとは異なる新たな視点を持っていること。男らしさがありながらもどこかチャーミングな〈ALONE〉の服は、神谷氏の人柄がそのまま反映され、幅広い世代の人々を魅了している。今回のインタビューでは、彼がどのようにして自身のスタイルを形成したのか、幼少期からこれまで遍歴を語ってもらった。今後より成長していくであろう〈ALONE〉と神谷氏に、ぜひ注目してほしい。


HYPEBEAST:まず、神谷さんが洋服に興味を持ったきっかけを教えてもらえますか。

一番最初ってことですよね?僕は渋谷出身で、通っていた学校の隣の中学にテレビに出ていたダンスボーカルグループのメンバーたちが転入してきたんです。生活エリアが近いので、ある時たまたまその子たちと街ですれ違った時、彼らはいわゆるヒップホップ寄りのストリートファッションに身を包んでいて、同い歳なのに自分と服装があまりも違うことにショックを受けました。今振り返るとそんなに大したことないんですけど(笑)、当時は彼らの佇まいが凄く格好良く思えたんです。そのことがきっかけで、自分で洋服を探しに行くようになりました。割と遅咲きかもしれないですね。

それ以前は全く服に興味はなかったんですか?

でも、自分の親がVAN Jacket(ヴァンヂャケット)に勤めていたり、幼少の頃からRalph Lauren(ラルフ ローレン)など色々なブランドの服を着せられてきました。ただ、当時は自分の着ている服がどこのブランドなのかは認識していなくて、特に関心もなかったです。なので、自発的に服を選ぶようになったのは中学生からですね。

服への興味の入り口がヒップホップ寄りのストリートファッションだったとの事ですが、そこからどのように今のご自身のスタイルを形成して行ったんでしょうか?

実は当初希望していた高校ではない校則の厳しい学校に入学したんです。そこで同級生の私服を見る機会があって、Ralph LaurenのRUGBY(ラグビー)とかRRL(ダブルアールエル)を着ている友達が周りにいたんですよね。それを見てスタイルに奥行きがあって格好いいなと思って、彼らの影響でアメカジの文化を掘り下げるようになりました。RUGBYは当時日本に直営店がなかったので、RAWDRIP(ロウドリップ)で買ったり。しばらくして、その時見ていたブランドの洋服が古着から着想を得ていることに気付くんです。そこから一気に古着にハマって、のちに古着屋でアルバイトするようになります。自分は何かに興味を持つと、頭がおかしくなるくらいのめり込んじゃうんです。そんな性格のせいもあってか、元々アメカジについて教えてくれた人たちよりも、自分の方がいつの間にか詳しくなっていました。

ちょっと話は逸れますが、当時の自分にとって大きな出来事があって。その頃、自分の通っていた高校ではとてもファッションが盛り上がり、僕らの周りで非常に熱の高い状態が続いていました。その熱量と若さ故か、ある時周りの人間との間で、自分たちのスタイルを僕らに真似られたという理由から揉め事が起こり、ちょっとした危ない事件にまで発展してしまった事があったんです。ファッションって本来自由に楽しむものなのに、そんな争いが起きてしまったことがとても悲しくて。みんながピースであればいいのにと強く思っていました。そのような風潮を是正したいという想いや、当時のムードに対しての反逆心、そして何よりもその時のファッションを楽しんでいた自分達を否定したくないといった思いを胸に、洋服のプロになる道が将来の選択肢の1つに加わりました。それからはあっという間に時間が経って、気付いたら今に至ります。

Francis Ford Coppola(フランシス・フォード・コッポラ)の映画『アウトサイダー』とか『ランブルフィッシュ』みたいなエピソードですね……。

もちろん、楽しいこともたくさんありました(笑)でもファッションひとつでそんな事になってしまうのは、ちょっと衝撃でしたね。あえてポジティヴな見方をすると、当時の僕らはそれくらい純粋にファッションと向き合っていたということですよね。

高校卒業後の進路はどうされたんですか?

映画の仕事にも興味があったので、大学は服飾と関係ない文学部芸術学科に入学し、映画とメディアについて学んでいました。でも、やっぱり洋服に関わる仕事がしたくて、アパレル関係のアルバイトを経て、卒業後は大手セレクトショップに新卒で入社しました。その頃も変わらず古着は好きだったんですが、徐々にカジュアルなスタイルからジェントルなスタイルに傾倒していき、転職してドメスティックブランドで5年ほど働かせてもらいました。僕が在籍していたブランドは古着をルーツとしつつ、仕上げ方がある種の“エレガンス”を表現しているというか。その“エレガンス”について自分なりに深く追求していくうちに、ハイブランドのクリエーションにも目を向けるようになりました。

今日は神谷さんが影響を受けたアイテムを持参してもらったんですが、これはいわゆるハイブランドのものですね。

2014年のPrada(プラダ)のアロハシャツです。Duke Kahanamoku(デューク・カハナモク)のようなオールドスタイルを踏襲した柄を採用しつつ、仕上がりが洗練されていますよね。これらはPradaのようなハイブランドによる、“ヴィンテージのアップデートの巧さ”がよく感じられるアイテムだと思います。その頃はPradaの他に、Hedi Slimane(エディ・スリマン)が手掛けていたSaint Laurent(サンローラン)もよくチェックしていました。今でも大好きでたくさん持っています。彼が作るアイテムは単に古着をオマージュするだけでなく、男らしさがありつつも、どこか可愛らしさやセクシーな雰囲気もあるのが素敵だなと思います。友人がロサンゼルスのSaint Laurentで働いていたこともあって、その彼を頼りにアメリカの西海岸にはよく行ってましたね。

現地で何か影響を受けたことはありますか?

かなりあります。現地で泊めさせてもらっていた彼の家が有名な建築家のRichard Neutra(リチャード・ノイトラ)が設計した邸宅で、家の中に本物の木がたっていたり、室内にはヴィンテージの椅子や写真集が配置してあり、凄くセンスが良くて。彼が通勤するときは古いベンツに乗っていたり。今は自分も同じ車を所有しているんですけど、そういったライフスタイル全般に影響を受けました。あとは現地のChrome Hearts(クロムハーツ)の人たちの着こなしにも感化されましたね。Dickies(ディッキーズ)の上下にConverse(コンバース)をあわせ、Chrome Heartsのベルトを取り入れて、リングはそこまでつけてない。日本だと「どうだ!」って感じでコテコテにキメて主張する人が多いですけど(笑)、現地では「隠すChrome Hearts」というか。気候やライフスタイル、土地の広さなど外的要因は色々あるとは思いますが、彼らとは根本的なセンスに差があるなと。実は僕の生まれがサンフランシスコで、短期間だけ現地に住んでいたんです。幼い頃に東京へ引っ越してきました。当時は混血であるという事実が凄く嫌だったんですが、アメリカのカルチャーの良さを知ってからは、自分のルーツを誇りに思えるようになりました。

それから自身のブランドALONEを始めるきっかけは何だったんでしょうか?

正直なことを言うと洋服を買いすぎて、お金があまりなくて(笑)何かをやりたいという想いは以前からありましたが、生活のために何か始めなければと考え、まず古着のTシャツをサンプリングして、ALONE Tシャツを作ろうと決意するんです。2016年当時は無地のTシャツが主流でしたよね。みんな無地Tを着ていて、プリントものを着ている人はほどんどいなかった。また、影響を受けていたストリートブランドの最初のアイテムがTシャツだったことにも起因していると思います。僕が働いていたショップに、自分も関わっているCURIOSITY(キュリオシティ)のディレクターである山木悠(*共にALONEを立ち上げる人物)がよく遊びに来ていました。彼に相談してロゴデータを作ってもらい、手分けしてTシャツを手売りし始めたんです。その過程で、CURIOSITYのポップアップが蔦屋書店で決定して、何か販売するアイテムを用意する必要があり、新しいTシャツを作ることになりました。本当に少しずつアイテムが増えていったんですよね。

ブランド名の由来は、前職のブランド在籍時に、5年間ずっと1人で店頭に立っていたんです。当時はお客さんや友達がよくサポートしてくれて。僕が店にいると、彼らからLINEで「ALONE?」ってメッセージが来るんです。その意味は差し入れの数のことなんですけど(笑)、僕一人(ALONE)の場合は一人分、他に友達がいる場合はその人の分も買ってくよってことですね。そんな風にALONEって言葉をよく使っていたので、そのままブランド名にしました。だから「一人で生きていく」とか「最後は一人で死ぬ」みたいな深い意味があるわけではないんです(笑)

ALONEのアイテムを最初に扱ってくれたのは、神宮前にあったDELUXE(デラックス)の旗艦店 Bridge(ブリッジ)でした。ポップアップも開催してくれましたし、お店には高校生の頃から良く通っていて、HUEさんを始め、ショップスタッフの方々とも元々仲良くしていただいていたので、凄く嬉しかったですね。自分の中でBridgeは今でも大切な場所の一つです。その他にも取り扱ってくれるショップが出てきたんですが、当時は生産体制が整っていなかったので、不定期にリリースをする様なブランドと呼べるレベルではない状態でした。当初は固い決意があってALONEを始めたわけではないんです。でも、運営していくうちに着てくれる友人たち、特に山木悠から葉っぱをかけられ、Tシャツだけじゃなくちゃんとした洋服も作ってみたいと思って、仕切り直して2018年11月に初めての展示会を行い、そこでTシャツとレーヨンシャツ2型を発表しました。この時がALONEとしての本格的なスタートと言えるんじゃないですかね。それで同時期に働いていたブランドを退職しました。

その後少し時間が経ち、最初の就職先からお手伝いのお声がけをもらいました。それで当初は短い契約かなと思いながら、業務委託を引き受けたんですが、結局今もALONEと並行して3年半くらい仕事を続けさせてもらっています。色んな企画を担当させてもらっていて、やれることの幅が広いので、とても有り難く携わらせてもらっています。あとはそれとは別に、いくつかのストリートブランドのお手伝いをさせていただいています。今フリーランスで働いてる方って多いと思いますけど、我ながら影武者のような独特の立ち位置かなと(笑)自分が他者と関わることで、双方に良い影響があればと思って仕事をしていますが、今の僕があるのは、自由を与えてくれた大人たちのおかげだと思います。

ALONEの成り立ちも含め、今の神谷さんのスタイルは実際に出会ってきた人たちとの縁が積み重なって形成されたんですね。先ほど挙げたブランドは、ストリートファッション好きなら誰でも知っていますよね。正直、オファーがきたときは怯んだりしませんでしたか?

もちろん、お手伝いをさせていただいているブランドのアイテムは昔から相当買って着てましたし、かなり影響も受けました。どのブランドも既にスタイルが確立されているので、声をかけられた時は「自分が関わる余地があるのかな」と思いました。でも生きてきた年代や文脈、カルチャーもいい意味で微妙にズレているので、そこが反映できたらいいケミストリーになるかな、と考えてトライしてみました。

なるほど。ここでまたALONEの話に戻りたいと思います。今ブランドは一人でやられてるんですか?

先ほど名前が出た山木悠も一緒にやっていますが、デザインはほとんど僕一人で手掛けています。配送作業や展示会の準備、撮影などは友人が手伝ってくれたり、生産も昔から繋がりのある方や紹介していただいたところにお願いしています。基本的にデザインに関して他の人と話し合うことはほとんどないのですが、近しい人たちには率直な意見をもらったりはしています。

ではブランドのコンセプトは?

シーズンテーマを設けたりはせず、ALONEは自分が好きな古着に対して足りないもの、見たことないものを表現するというのがコンセプトの1つとしてあるかもしれないですね。でも変に格好付けたブランドにしたいわけではなくて、みんなが今市場で買えるものの隙間を埋めるようなアイテムを作りたいなと考えています。このアイテムにこの生地感はありそうで無かったなとか、もっと大きめのサイズが欲しい時に用意があるとか、そういった要望に答えるようなブランドでありたいなというのはあります。ランウェイショーをやりたいとかは全然ないですね。あまりお金のかからないデイリーウェアに憧れてきたというのもあって、そこに付随するものの延長線上にあって、なおかつ格好良いものというのが理想です。あとは、自分が本当に着たいものを作るということを強く意識しています。

最新コレクションである2022年秋冬シーズンのアイテムを紹介してもらえますか?

初めて作ったスタジャンです。通常のスタジャンは防寒性に優れてないので、襟と袖口にリアルムートン、内側にアルパカを用いて真冬でも暖かい仕様にしています。パンツ類はNEAT(ニート)の西野大士さんに色々アドバイスをいただいて、作っています。あと僕がボーダー好きで定番で展開しているバスクシャツは、今季はかなり硬い生地感に仕上げています。居酒屋とかで使われているダスターみたいにしたくて(笑)着ると独特のシルエットがでて格好いいんです。あと展示会のみでオーダーを受け付けているリングは、MASA SCULP(マサスカルプ)さんに製作をお願いしています。それぞれシルバーとゴールドの2種類ありますね。

各アイテムにエルボーパッチが付いているのも気になります。あとは過去のルックには女性も登場していますが、ユニセックスで着れるアイテムを意識していますか?

エルボーパッチは好きなヴィンテージのディテールの一つで、よく使ってます。元々好きでしたが、ALONEの世界観とやっぱり合っているなと。普遍的なアイテムを作っているので、特に性別を意識しているわけではありません。ルックの時もメンズサイズを着てもらいました。ただ、これは当初から意識していることですが、ALONEを着たらモテて欲しいと思いますね。異性にだけモテて欲しいという意味でなく、人にモテると言いますか。ALONEを着てデートに行ったらうまくいったとか、ALONEがきっかけで友達ができたとかなんでもいいんです。その人の人生の特別な瞬間に、僕の作った洋服が立ち会えていたら本望です。街でたまにALONEを着てくれている人を見かけると、やっぱりこの仕事をやっていて良かったなと思います。

僕はこれまで色んな現場で遊んできましたが、その度に自分のファッションが変わっていったんです。昔はロングヘアーでボロボロのジーンズにサスペンダー付けて、みたいなゴリゴリのスタイルでクラブに遊びに行ったり。ニューヨークのRRLのお店に行った時には、店員さんがみんなJames Dean(ジェームス・ディーン)みたいにシュッとしていて、短髪にシンプルな白T&ジーンズのハンサムなコーディネイトで、日本で思い描いていた男臭いアメカジスタイルと全然違うじゃんとショックを受けたり。そういったこともあって、従来の日本人が幻想として過度に抱いていた“アメリカの格好良さ”みたいなものを、ALONEで崩したいというのはあります。

確かに従来のアメカジインスパイア系のブランドに比べて、全体的に色使いがポップで可愛い雰囲気がありますよね。

そこは一番気にしているポイントかもしれないです。やはり今のブランドの規模だと出来ることも限られてくるのは勿論なのですが、ALONEを着た人が素敵に見られて欲しいと思いながら作っています。

色々なスタイルを経て、神谷さんは今何からデザインのインスピレーションを受けていますか?

僕はHarry Styles(ハリー・スタイルズ)が好きで、その理由を紐解いてみると、スタイリストのHarry Lambert(ハリー・ランバート)の独創性が凄いことがわかります。彼に限らず、海外で直接見るアウトフィットなどには刺激を受けます。ブランドだと、結局RRLやRalph Laurenが一番好きですかね。あとは前職から離れて、自分のブランドをはじめてから車やバイクに乗るようになり、ライフスタイルがガラッと変わったことも大きいです。今は古い年代のベンツやベスパ、自転車を所有しています。バイクはハーレーとかではなく、ベスパの方が自分に合ってるなと。もともとハードなバイカースタイルは好きでは無かったので、もっとファニーな感じです。映画のローマの休日みたいに、女性と2人乗りするようなイメージですかね。古い写真集や映画に出てくるような、乗り物とリンクしたライフスタイルには影響を受けていると思います。

最後の質問です。今後の展望について教えてください。

まだまだブランドの規模は小さいですが、少しずつ着実にやりたいことができるようになってきました。ワンラックのコレクションで展開していますが、ここから型数を増やしたいというよりもベストな形は何かを常に考え、展開していきたいと思っています。また、今年から週一で服飾の専門学校で先生をやらせていただいています。僕は4年制の大学を卒業し、言ってみればアカデミックな領域に少し足を突っ込んでいた訳ですが、同じ業界内で自分の周りにはそういう人がいなくて。大学を出てファッションの道へ進んだ人の中でも、意外と後の人生でそのことを活用してる例もあまりない気がします。なので、今は自分のこれまでの経験を踏まえて教壇に立っていますが、その延長線上で何か面白いことができたらなと思います。このように、業界について客観視できるような立場からファッションに携わるのも、これからやっていきたいことの1つですね。

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