Studio Visits : 倉石一樹

メンズであれば伸びる食指を抑えることができない魅力溢れるクリエイションの原点から、日本のストリートウェア界におけるゴッドファーザーたちとの出会いや意外な血縁関係までを訊く

ファッション 
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1990年代のニューヨークで〈THE NORTH FACE(ザ・ノース・フェイス)〉のダウンジャケット Nuptseが好まれていたように、20世紀からアウトドアウェアをライフスタイルウェアとして着用するスタイルはあるものの、その流れはここ数年で一気に加速。今やメゾンブランドが当たり前のようにテクニカルなアウターを発表しアウトドアブランドとコラボする、メンズウェアが機能性をなくしては語れない時代となった。

このトレンドのフロントランナーは間違いなく〈THE NORTH FACE〉であり、同ブランドの中でも“街着”の中核を担うライフスタイルカテゴリーに該当し、海外限定のラインである“Urban Exploration”を担当するのが、本稿のインタビュイーである倉石一樹だ。もともとマウンテンバイクとスノーボードというアウトドアスポーツを愛する少年だった倉石氏が手がける同ラインは、同氏の十八番であるサンプリング的再構築の手法と妥協なきモノづくりへの探究心に溢れ、メンズであれば伸びる食指を抑えることができない魅力に満ちている。

〈A BATHING APE®️(ア・ベイシング・エイプ)〉〈adidas(アディダス)〉〈Burton(バートン)〉〈CLOT(クロット)〉など、あまりにも手広く異なる性質のプロジェクトに携わってきた倉石氏のクリエイションの原点を探るべく、『HYPEBEAST』編集部は都内某所にある彼のスタジオを訪問。これまでの軌跡から現在手がけているプロジェクトについてはもちろん、日本のストリートウェア界におけるゴッドファーザーたちとの出会いや意外な血縁関係までを語ってもらった。

まずは、学生時代にアメリカ・コロラドへ留学することになった経緯についてお話を聞かせていただけますか。

中学生の頃からマウンテンバイクが好きで、高校生のときにはチームに所属して大会にも出場していました。 そのチームの人たちが割とロサンゼルス遠征などによく行っていて、年齢が1つ上の人もコロラドにいたので、19歳頃にコロラドでホームステイすることを決めたんです。現地では学校に行きつつ、日本から遠征に訪れたチームメンバーと一緒に大会に出場していました。それにコロラドは冬にスノーボードができたのも決め手の理由でしたね。

その後すぐ、全く異なる街であるニューヨークへと拠点を移されたそうですが、そのきっかけは?

マウンテンバイクの大会に行くとパーツの専門店などいろいろな種類のお店が出店していて、必ずショップやメーカーのロゴが掲示されているんですが、純粋にカッコいいなって思ったんですよ。当時は日本では裏原カルチャーが産声を上げ始めた頃だったんですけど、A BATHING APE®️などのファッションブランドのロゴとマウンテンバイク関連のそれにあまり違いを感じず、何となく似てるなと。だからロゴデザインについて勉強すれば洋服も作れるんじゃないかと思い立ち、コロラドでの生活を1年ほどで切り上げ、グラフィックを学ぶためにニューヨークへ飛んだんです。この時、日本に帰る選択肢はなかったですね(笑)。

学ぶためというと、独学ではなく専門学校に?

本当はCalvin Klein(カルバン・クライン)が卒業したFIT(ニューヨーク州立ファッション工科大学)に入りたかったんですけど、語学的な問題で難しかったのでグラフィック系のSVA(スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ)に入学しました。そこでは一切ファッションや洋服についての勉強はせず、FedEx(フェデックス)をはじめとする企業ロゴの歴史などを学んでいましたね。

ニューヨークで生活を続けているうちにNIGO®️さんとお知り合いになったそうですね。当時は日本でも出会うことすら難しかったと思いますが。

僕がNEIGHBORHOODの滝沢伸介さんと従兄弟なのが大きいですね(笑)。8歳差ぐらいなんですけど、その繋がりで紹介してくれました。当時はニューヨークベースの日本人、ましてや学生なんて珍しかったからかわいがってもらえて、NIGO®️さんや滝沢さんがNYに来た時に案内しながら遊んでもらっていました。それからNYに移住して2~3年経ち、日本に帰るか悩んでいることをNIGO®️さんに相談したところ、NOWHEREに誘って貰えたので入社することに決めたんです。

年齢的には新卒1年目にNOWHEREに入社した感覚ですね。

当時は年齢が上の方ばかりでしたね。SK8THINGさんとMANKEYさんの2人がメインでグラフィックをやっていたので、最初はショッパーやタグのデザインだったりアパレル以外を担当していたんですが、しばらくしたらNIGO®️さんに「こういうのを作っておいてほしい」ってTシャツをお願いされるようになり、次第にアパレル系のグラフィックを手がけるようになっていきました。

それまでの平面的なデザインから、立体感のあるアパレルにグラフィックを落とし込むのは勝手が違うように思えます。

多分、皆さんそれを考えますよね。でも学生の頃からTHE NORTH FACEのロゴをBAPE®️風にリデザインする遊びとかをよくやっていたので、「何だ一緒じゃん」って思ったのを覚えています。それに割と好きにデザインさせてもらっていたので、そこに壁はなかったですね。

数年後、BAPE®️を離れて独立されましたが、ターニングポイント的なエピソードはありますか?

2002~2003年頃からBAPE®️がPharrell Williamsとの関係をはじめヒップホップに舵を切り始めたんですけど、それまではもう少しUK寄りのブランドでした。個人的にもイギリスのモッズやパンクが好きだったので満足していたんですが、それが急激にヒップホップに向かい始めてしまったので、ブランドの方向性と若干ズレがあるなと。ちょうどそのタイミングでBAPE®️とのコラボレーションの話を進めていたadidasから、本国にはあったけど日本にはなかったミュージシャンへのシーディングや契約を行う部署のメンバーに誘われたんです。だからいい機会だと思い、BAPE®️を離れフリーとしてadidasに関わることにしました。

先ほども似たような話をお伺いしましたが、スニーカーのデザインはより3Dになるので難しくなかったのでしょうか?

当時は今よりもデザイン面に大きな制約があり、一から作るわけでもなかったので特に難しさは感じませんでしたね。歴史あるものに自分なりのエッセンスを加えるくらいの感覚でした。

adidasでは具体的にどんな仕事を?

関わっていくうちに内容は変わっていったんですけど、最初はアスリートではない著名人にシーディングするトレンド・マーケティング部の立ち上げを手伝いました。それこそFUJI ROCK FESTIVALはミュージシャンを直接捕まえ易いので、苗場プリンスホテルにadidasの部屋を作り、そこに招いてシーディングしてステージで履いてもらったりしていましたね。

例えばどんなアーティストにシーディングを?

Underworld、Radiohead、Primal Scream、The Stone RosesのIan Brownなど、UKアーティストが多かったですね。Beastie Boysには衣装を作ってツアーで着てもらっていました。

役割的には、adidasをカルチャーへと落とし込むような。

世界ではできていたんですけどね、日本だけできていなかったんですよ。いくら僕がヒップホップが好きじゃないとはいえ、adidasにはRun-D.M.C.の下地があったので、日本のアーティストにシーディングする際はバンドよりもヒップホップから浸透させるべきだと思い、RHYMESTERさん、MUROさん、AIさん周りにお願いしていました。結局adidasとは10年くらい仕事をして、後半には自分のラインも持たせてもらえましたね。

ご自身のライン以外で大きなプロジェクトを手がけたことは?

adidasが日本のブランドと関わりだしたのはBAPE®️がきっかけなのは間違いないですが、言い過ぎかもしれないけど、それ以降の数年間の日本のブランドとのコラボレーションは、ほとんど僕が紹介したブランドなんですよ。と言っても、本国からお題が降ってきたうえでの仕掛け人ですけどね。例えば「Superstarが35周年だから日本のブランドとコラボしたいけど、どこがいい?」という連絡がきたら、フィットしそうなブランドを紹介するような。今では考えられないですけど、当時はNEIGHBORHOODがスニーカーをリリースするイメージがないような時代だったので、最初は恐る恐るの提案でしたね(笑)。

adidasと並行してフリーではどんな仕事を?

たまたまなんですけど、BAPE®️を辞めるタイミングで藤原ヒロシさんに出会うことが出来て、いろいろな話をしているうちに雑用的にグラフィックデザインをしてくれる人を探していたと声をかけていただき、それをメインの仕事にしていました。

adidas以降はすぐにTHE NORTH FACEとチームアップしたイメージですが。

一応adidasとはフリー契約だったので競合がいくつかあったんですけど、その中になぜかTNFも入っていて、「全然違うブランドなのになんでダメなんだろう?」って思いつつ辞めたら偶然すぐTNFの人に誘ってもらえたんです(笑)。

カテゴライズするのであれば、ストリートのBAPE®️、スポーツのadidas、カルチャーの藤原ヒロシさん、アウトドアのTNFと、全く異なるジャンルを辿ってきていますね。

一見異なるジャンルのように思えますけど、芯のところでは全部繋がっているんです。先ほどBAPE®️のときにTNFのサンプリングをしていた話をしたと思うんですけど、当時の原宿周りの人たちの服作りってサンプリング的な手法が多かったので、僕からすると全部一括りで好きな洋服だったんです。多分NIGO®️さんもヒロシさんもそういう考えだったと思います。それが本人たちが意識しない間にストリートウェアになっていったように、似たような感覚で仕事をしていましたね。

“防水ウェアを着れば傘がいらない”みたいな分かりやすい便利さは、今の時代に支持されると思います。

2018年秋冬からTNF “Urban Exploration”がスタートしましたが、ブランド側からお話があったんですか?

そうですね。当初は名前を出して続けていく予定だったんですけど、その頃のTNFはコロコロとクリエイティブディレクターが変わったりと方針が定まらず、結局僕の名前を出さないことに決まったみたいです。名前が出ていたのは、2018年秋冬から2020年春夏までですね。

TNFではそれまで手がけてこなかったテクニカルなウェアをデザインすることが多くなったと思いますが、経験は?

それこそコロラドに留学していた時代からテックウェア類が好きだったんですけど、特に学んできてはなかったので最初は見様見真似でしたね。でも途中からやっぱり勉強しないと難しいと思い、文化服装学院近くの本屋さんで自分で本を買って独学で身につけました(笑)。ただ、BAPE®️やadidas、CASH CA(カシュカ)というUKのブランドに関わっていたときにデザインだけでなく生産まで携わっていたので、本で読んだことを既に自分の目で工場で見ていたことが多々あり、それまでの経験を踏まえて仕事しながら上達していった感じです。あと、僕はパターンが引けないのですが、縫い方1つから相談に乗ってくれるCASH CAの生産の人やTNFの恵まれた環境も大きいと思いますね。今ではマテリアルの開発も一緒にできて、うれしい限りです。

若い頃からテックウェアに魅了されてきたワケは?

完成していない素材だから挑戦できるところですかね。コロラドに留学していた時代はスノーボードもまだまだ流行り始めたくらいの頃だったんですけど、地元のブランドがいらなくなったウェアを譲ってくれることがあり、その時に初めて防水ウェアの存在を知りました。それからfragment designを通してBurtonとidiomというラインをやるようになったときに、2.5レイヤーやラミネートなどテックウェアについて学んだんですけど、何よりも便利だし、新しい素材だからいくらでも開発できるところに魅力を感じます。

ひと昔前では考えられませんでしたが、今ではラグジュアリーブランドもテクニカルな素材を使用する時代ですよね。

“防水ウェアを着れば傘がいらない”みたいな分かりやすい便利さは、今の時代に支持されると思います。そういったブランドでは職人たちが手作業でシームテープを貼っているから丁寧なうえに、ウールだけでも高いのにそれをラミネートしたり、うらやましいです(笑)。

デザインサンプルはかなりの量がありますね。

今ではあまり見られない襟の付け方をしたTNFの古着だったり、昔自分が着ていたテックウェアが中心ですね。過去と今のTNFのアイテムは完全にシルエットが違いますが、僕がやっているラインは割と街着想定だから身幅の狭い現代っぽいシルエットで、逆に参考になったりしますね。

特に好きな年代のシルエットなどはあるんでしょうか?

どちらかというディテールが好きなので、あまりないですね。それよりもモノのよさと作り手で選んでいます。僕が聞いた話では、ある年代のMountain HardwearのデザインはもともとTNFにいた人が手がけていたらしいのですが、その人が作ったものはMountain HardwearでもTNFでも明らかにカッコいいから分かるんですよ。

僕の街着で生まれた機能的なアイディアが、のちのち山のウェアを作るチームに行き渡り、将来的に本気で山でTNFを着る人たちにとって有益なデザインになるのが、ブランドが僕とコラボしている正しい意味なのかなって。

デザインのアイディアはどこから湧くことが多いですか?

常に考えていますが、古着を見に行ったり、先ほどのデザインサンプルを見返したり。今のものを参考にして考えると、自分でも気付かないうちにマネになってしまいかねないので。例えばTNFにはもともと有名なMountain Light Jacketというアイテムがあるんですけど、この上に軍モノのベストを着て、TNFのロゴがあったらかっこいいなという思いから生まれたアイテムが2018年秋冬にあります。バックルも軍モノを参考にしているので片手で簡単に外すことができるんですけど、TNFに頼んだらほぼ同じものを作ってくれました。あとはキャップを被ってる上にフードを被る人が多いからそれを1つにしたデザインのフードを配したり、2着を1着に昇華するサンプリング的な感じですね。このとき、フードっていってもネックの部分の芯地の硬さで襟の立ち方も変わってきて、固くしすぎると着心地に影響してしまう。ここまでの変なこだわりって普通のブランドだったらめんどくさがるんですけど、TNFの人たちはおもしろがって一緒に考えてくれるんですよ。それが僕にとっては本当にありがたいことで、普通ここまでこだわったら売れる値段にもできない。でもTNFはがんばってプライスを抑えてくれてるんです。ただTNFの人たちでも理解できないことはあるので、細かいやり取りは工場に行って直接指示しています。それでも間違えられたものが出来てしまうこともあって大変なんですけど、生産の人たちはおもしろがって付き合ってくれます。

それだけこだわりが強いと、シーズン展開のスケジュールに間に合わないこともあるのではないでしょうか?

間に合うのですが、いざ完成したと思って自分で着てみると仕様を変えたくなることはよくあるし、着ながら新しいアイディアが思い付くこともある。ポケットひとつ取っても、ジッパーテープの縫製の仕方で内容量を大きくする仕様を考えたり。でもこの僕の街着で生まれた機能的なアイディアが、のちのち山のウェアを作るチームに行き渡り、将来的に本気で山でTNFを着る人たちにとって有益なデザインになるのが、ブランドが僕とコラボしている正しい意味なのかなって。

手がけたアイテムが日本では売れないことにジレンマはありませんか?

僕は作れればいいんです(笑)。

いま、TNF以外で進行している大きなプロジェクトはありますか?

シューズブランドのMERRELLを手がけています。でもこれはデザインチームとして参加している感じですね。あとは今年の秋冬に向けてVansと動いてます。ちなみにアパレルが得意じゃないブランドと仕事するときは、先方のボディがあればそれをベースにするようにしています。変えられるところは変えてもらったりはするんですけど、僕が糸とか素材とか指定しはじめちゃうと嫌がられるので(笑)。相手を理解しつつ、こだわれるところはこだわる感じです。あとはとにかく作るのが好きだから、友達の生産を手伝っていますね。例えば、Edison ChenのCLOTや彼とKBのEmotionally Unavailableは絵型が送られてくるんですけど、芯地を何にするか、縫い方をどうするか、襟の形をどうするか、そういった指示がないので、デザインはその通りにやりつつ仕様は好き勝手にやってます(笑)。

その際の生産は日本で?

やっぱり日本の工場は質が高いし、今は新型コロナの影響で海外からの仕事が少なくなったと聞くのでお願いしています。ただ僕の知ってる範囲での話ですけど、テクニカルウェアに関しては日本よりもベトナムの方が生産がうまいと感じていて、僕のアイテムの多くもベトナムで生産しています。

やはりコロナの影響は大きいですか?

TNFの2020年秋冬の生産に関してはめちゃくちゃ遅れましたし、サンプルの修正指示のやりとりが今までで1番少なかったです。ただ不幸中の幸いとして、昔はプロトタイプを自分のもとに置いておけなかったんですけど、今は2個作って1つはブランド、1つは自分の手元という形になったので、それはそれで助かりましたね。

TNFとの協業は今度もしばらく続いていくんでしょうか?

おもしろがっていただけていますし、僕も続けていけたらと思っています。

今後の展望などは?

フラワーアーティストの東信さんが中国でお店をオープンするかもしれなくて、その手伝いをちょっとしています。実はいまアパレルじゃない分野が気になっていて、アパレルは少量でもいいから本気で作れる分だけ作り、他のことをやりたいというのが本音です。何にも考えずに洋服を作っている人が嫌なんですが、そういったブランドが多くなっているように思います。でも世の中は宣伝がうまいアイテムが売れたりするので。まぁそれはしょうがないと分かりつつ、自分では少量でもいいのでしっかりと細部までこだわったちゃんとした洋服を作りたいと思っています。

最後に、スタジオにはCali Thornhill DeWittのをはじめ、いろいろなアートワークがありますね。

もともとBanksyの映画にも出ていた友達のLucas PriceというアーティストがCaliの作品が好きで、Lucas伝てでCaliを知りました。彼が創っているものが本当に好きなのでいくつも置いていて、何シーズンか一緒にアパレルも作っていました。今でこそ普通のことで現代的だと思いますけど、Caliとは会ったこともないのにLucas経由で作る段取りが決まっていって、当時はこういうやり方もあるんだって新鮮でしたね。アートワークの話からは逸れるんですけど、2~3年前くらいにPortugal. The ManってバンドをTVで見つけて、ここ数年で1番衝撃を受けたくらいボーカルの人の着こなしがカッコよくて。試しにDMを送ってみたら返事がきたので、1回も会ったことがないのに今度何かやることになりました(笑)。でもコラボアパレルを作るんじゃなくて、純粋に着てもらえたらいいなって。モデルとかお願いしたいですね。

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