

blackmeans(ブラックミーンズ)。JAPAN MADEに絶対的なこだわりを持ち、その繊細な加工技術に世界の名だたるデザイナーも一目置く、日本屈指のレザーブランドである。2008年に始動した彼らは「パンク」「モーターサイクル」「民族」「ハードコア」といったワードで形容され、blackmeansと聞くと誰しもが前衛的で硬派なイメージを思い浮かべることだろう。
さて、必要なことは何でもGoogleやSafariで検索できる時代。しかし、ことblackmeansにおいては、その巨大サーチエンジン内にも真髄に触れていると感じるコンテンツはどこにも転がっていなかった。デザイナー 小松雄二郎のこれまで、使用するレザーへのこだわり、パンクとは……。無論、それらが彼らを語るうえでとても大切なエッセンスであることに疑いの余地はない。しかし、それらのフィルターを取り払ってblackmeansと向きあってみると、未だ語られていない何かがあるという確信があった。
予め伝えておこう。本稿ではblackmeansのレザーへのこだわりや、小松氏が尊敬するパンクバンドとその理由などについては一切触れていない。しかし、blackmeansを熟知した人でもそうでない人でも、読了を境に、blackmeansへ対する先入観が一新され、忘れかけていたファッションの本質を思い出すことだろう。

早速なのですが、blackmeans創立の経緯を教えてください。
僕はパリコレに参加するコレクションブランドを経験していて、そこでレザーアイテムの生産に携わっていました。退職にともない、革の工場にその意向を伝えたところ、「うちの工場で働いてほしい」とお誘いをいただいたことが全てのはじまりですね。これが2005年、blackmeans設立前に製品加工チームとして活動していた時期のことです。
ただ、工場が岐阜にあり、僕自身はむこうに行く気はなくて 。でも、工場側も当時、安価な海外生産の普及により煽りを受けていることを理解していて、僕が製品加工や古着加工を得意としていることを知っていたから、新しい需要を作る必要性を感じていたようでした。そこで「営業をして新規顧客を獲得する」「東京に加工の工場を構える」「自社ブランドを立ち上げる」という3つの条件を提示され、レザー工場の東京支部をつくるという流れになりました。
小松さんはものづくり一筋のキャリアを歩んでこられたと思っていたのですが、営業職もされていたんですね。
営業は楽しかったですよ。日本製のレザーアイテムは非常に高額な部類にあたり、ある程度、単価が高いブランドでないとラインアップに馴染まない。だから、最初は雑誌を立ち読みして営業先の選定していました。商品の金額を見れば、日本製か否かの判断もつきましたし。
完全な飛び込みですが、僕は革に詳しくはあるけど専門家ではないので、当初は「知っている」と思わせるためにハッタリも必要でしたよ。表紙にロウを塗って、何十年も使い込まれたようなヴィンテージっぽい加工をした手帳を打ち合わせに持っていったりして(笑)。ただ、工場には日本のトップに君臨するコレクションブランドからも発注があり、手の込んだものだったり、作ったことのないものを作れる技術がありましたから、当時全盛期だったブランドからも発注をもらえました。
順風満帆に事は進むのだけど、今度は僕のキャパシティーが足りなくなりはじめて。ある日、こなせる人材も確保していないのに、レザージャケット1500着の受注を受けてしまったんです。そこで声をかけたのが、blackmeansの創業メンバーである有賀兄弟でした。当時は2人もブランドをやっていて、僕も東京に加工工場を構える必要があったから、3人で今の場所を借りることになったんです。

なるほど。この段階で「営業をして新規顧客を獲得する」「東京に加工の工場を構える」の2つをクリアしたというわけですね。
そう。それで最後の条件が「自社ブランドを立ち上げる」ことで、これがblackmeansのはじまりになります。
「パンク」「モーターサイクル」「民族」というコンセプトは、blackmeans創立当初から決まっていたことなのでしょうか?
実は、それがコンセプトやテーマというわけではなかったんです。これらは単に好きな言葉を並べただけのもので……。でも、実際にパンクやモーターサイクルのカルチャーを通ってきたのは間違いありません。
それ以上に、blackmeansは「日本」で「革」をやるということが重要で、僕はその歴史もいくらかは勉強してきました。だから、日本で革をやるというアイデンティティを理解しておかないといけないと思ったんです。ブランド設立は会社からのお願いではありましたが、ブランド名もロゴマークも最初から自分で考えました。
鳥をモチーフにしたblackmeansのロゴマークにはどのような意味が込められているのでしょうか?
2つの輪は有刺鉄線で、二重の有刺鉄線は迫害を受けている象徴のマークになります。真ん中の鳥は鳩がモチーフなのですが、これは僕が吸っていたタバコのピースから取ったものです。でも、鳩はノアの方舟に登場する平和の象徴で、有刺鉄線に囲まれた鳩がオリーブをくわえているというところに、すごくしっくりきましたね。
あと、鳩の羽のところは5本指の手になっています。伝統工芸品に象徴されるように、日本人は古来より、手先が器用と言われてきましたよね。繊細なものづくりは、日本人のルーツだと思っています。でも、昔は封建社会において身分の低いとされる人たちが作らされていたり、過酷な過去があったのも事実。ただ、そのような歴史をたどってきて、今では世界からリスペクトされるようなものづくりができる国として認識されています。現代ではものづくりを生業にしている人は少ないかもしれないけれど、ルーツをたどればきっと日本の誰しもがそういう遺伝子を持っているはず。最近は工場がアジアなどに移り、職人が減ったり、日本でものを作るということ自体が危機的状況に直面していて、僕自身も一人の作り手としてその事実を肌で感じ始めていたから、ロゴの手の部分にはそういう意味も込められています。羽を手にしたのは、それ自体が自由の鍵、というか。日本人から手作業の仕事がなくなったら、僕らのアイデンティティはどうなるんだろうと思って。重い意味のようだけど、今でもそう、自分に暗示をかけています。そう思っておくこと自体は悪いことではないと思っていますから。



続けてになりますが、blackmeansというブランド名にはどのような意味があるのでしょうか?
日本で革のものづくりをする人という意味で、僕が考えた造語です。
blackmeans創業以前から、OEMの仕事で、よく姫路や墨田区のタンナーさんへ行っていて、そこへ行くと、そここそが日本の革の歴史が作られてきた場所であり、いつの間にか、自分もその歴史の一部であるものをタンナーさんと一緒に作っているという感覚に喜びを感じるようになっていました。
昔話として語られてきた歴史を、マイナスのイメージではなく、未来に引き継ぐプラスのイメージとして変えていきたいという気持ちが、僕の中で強くなってきていて、ブランド名を決めるにあたり、日本の皮革の歴史を作ってきた人たちに尊敬を込めて、その人たちを指す名称を、自分たちが名乗る意味でblackmeansと名付けました。
革の仕事を続けているうちに、いつの間にかプライドみたいなものが自分の中に生まれてきていたようで、例えば当時よく使われていた、本場イタリアのレザーという売り文句を聞くと、ちょっと悔しい気持ちになったりしてましたね。日本人がレザーに対して本場イタリアという言葉を使っていること自体に違和感を覚えて、「日本も本場だよ」ってことを、せめて日本人には認識してもらえるようにしていかなきゃだなっていう想いもありました。
世間的に「パンク」や「モーターサイクル」のイメージが先行すると思うのですが、もう少し具体的なところでいうと、平和を謳うようなデザインも採用されたりしていますよね。
平和に関しては、別軸で展開しているHiroshima Denim(広島デニム)にも通ずる箇所かもしれません。日本は第二次世界大戦を経験し、法律で戦争を放棄していて、それを終戦後から70年間も守ってきた事実があります。未だ世界各地で紛争や緊張状態が続きますが、誰が平和を始められるのかと考えた時に、今まで戦争を続けてきた人たちが「これからは平和にいこう」と言っても説得力に欠けるじゃないですか。武器を持たず、戦争をしてこなかった事実が70年間ある日本の方が、平和を始めるにふさわしいと思っていて。きっと、戦って命を落とした人たちも、子孫たちが、後世が平和であってほしいと願っていたはずです。日本人の義務、というと少し重いですが、僕は今の日本人の多くに戦争経験がなく、日本が「平和ボケ」と言えること自体が実際にすごいことだと思います。なぜなら、それはかつて命を亡くした人たちが望んでいた将来で、この平和は先人たちが与えてくれたものですからね。だから、平和に関しては、Hiroshima Denimの方が色濃く謳っているかもしれません。

そのほかでは「摩訶波羅蜜多心経」も特徴的で、blackmeansでは度々登場するデザインかと思います。経典なので、少し触れづらいと感じている人もいるかと思うのですが。
般若心経は昔、ジョン・レノンが日本のデザイナーが作った般若心経のスカジャンを着用していて、そのスカジャンは1970年代頃に日本から海外へ日本の文化として発信された歴史的な作品で、それのオマージュになります。僕ではなく、一緒にやっている(有賀)晶友のアイディアです。般若心経って言葉は知っていても、その意味は知らない人の方が多いかもしれません。事実、僕もそこまで詳しくは知らなかったのですが、よく調べてみると素晴らしいことが説かれていて。パンクやblackmeansの存在意義について考えると、般若心経がある程度、ブランドコンセプトといっても過言ではない部分もあると感じました。
世の中で起こるさまざまな出来事や変化を理解することや、時代の流れについていくことは、とても重要なことですが、常に流されていると、自分のアイデンティティや考え方、スタイルを見失いがちだと思います。般若心経はそこから心を解放して自分のアイデンティティを確立していくという意味を持った考え方だと僕は解釈します。
パンクの考え方として存在するトレンドに対するアンチテーゼは、ただ反抗するわけでなく、世の中の流れから、自分を見失わずアイデンティティを確立していくという前向きな姿勢だと僕はパンクから学びました。宗教的な意味は関係なく、ロンドンやニューヨークの人たちの極限状態から生まれたパンクに対して、古くから極限状態の日本人の心を救って来た般若心経を、僕は日本におけるパンクのアティテュードだと解釈しています。だから、般若心経は自分たちのルーツから発見したものですが、blackmeansの哲学とすごくマッチしていると考えており、とても気に入っています。
ファッションの世界では、1つのスタイルが流行すると、そこに多くの人が集まり、次のスタイルが流行すると、早く抜けたもの勝ちといった感じで、前のスタイルを続けている人が敗者、といった風潮があると思いますが、パンク的な考え方では、前のスタイルがその人のスタイルに合って残っているのであれば、その人が勝者ということになると僕は考えます。自分のスタイルを見つけることが出来たら……。それは革命ですよね。僕は若い時期にパンクからその輪郭を手に入れることが出来たのでラッキーでした。誰でもトレンドと違うスタイルで街を歩くことは勇気が必要だと思いますが、そのギャップ自体がその時代を生きていく強さに繋がっていくものだと思っています。それでも変化する世の中だから、自分のスタイルを見つけたら、そこからはその時代を生きながら、そのスタイルを自分なりにアップデートしていくということが必要になっていくと思います。



袖元に採用されている般若心経については、前衛的な見え方を意識していると思っていた人も少なくないでしょうね。ちょうど「ファッション」という単語が出てきたので、ファッション的な側面についてもお話しを伺いたいのですが、そもそもblackmeansほど遊んでいるブランドって本当に少ないような気がしています。
はい。否応なく目に飛び込んできますからね。面白くないと気持ちが上がらないんです。
でも、ものづくりはビジネスでもあるので、MD的な考えから突き詰めていくと、売れ筋に沿っていくものだと思いますが、その中でも自分の本心で作りたいものを見失わないことを意識しています。OEMの仕事をしている頃に、「こんな色出来ますか?」ってカラフルな色の提案をしていたデザイナーが上司に相談して、結局、黒のレザーを使うことになる、といった場面に遭遇したことがありました。僕の作品ではないし、レザーは高価なため、売れ残りが怖いのも仕方がないけど、やりたいことをやればいいのにって言葉を押し殺して寂しい気持ちで帰ったこともありました。だから、blackmeansの1stの展示会では「カラフルなレザーを使って、革でこんな自由なことができるということを世の中のデザイナーにも知ってもらいたい」ということをすごく意識していましたね。
レザーってどこかヴィンテージ至上主義みたいな考えもあったりしますしね。
僕もヴィンテージの洋服は大好きです。アメリカやヨーロッパのヴィンテージは歴史と風格があってメンズブランドが夢中になるのも理解できます。僕も昔から古着のライダースが好きで、ヴィンテージの風格を新品で再現することが、僕たちの始まりでもありますから。メンズブランドはパリコレクションなどのシーズナルなファッションの流れとは対照的に、無骨で歴史を感じさせるような、新しいものより過去を深掘りしていく傾向がありますよね。どれだけ本物に近いか、どれだけこだわってるかの戦いといった感じで。でも、blackmeansはその戦いを回避して、例えば、ヴィンテージタイプのクマジャンは作らず、クマジャンの毛の部分から毛が抜け落ちて肌の部分が出てるという想定で、毛なしクマジャンを作ったり、ヴィンテージ趣向のものを、世の中には存在しない新しい物にアップデートするといったファッション的なアプローチをとることで、丁度、ヴィンテージ趣向とファッション的な要素の両方を持っていると思います。
同じレザーブランドだと、代表格にschottなどがあるかと思いますが。
shottは歴史もあるし、レザージャケットのスタンダードとして確立されていますよね。50年代のアメリカの匂いというか、自由の匂いを感じさせるというか。若い時からその空気を服を通じて感じて、自分の中でのライダースのイメージは出来ていったのですが、blackmeansはそれを踏まえたうえでよりファッション的なベクトルにアップデートしていく感じだと思っています。
きっとblackmeansはスタッズをたくさん打ち込んだド派手なレザージャケットのイメージが先行しているかと思うのですが、ブランドの代名詞であるシドジャン(シド・ヴィシャスが着用していたレザージャケットをサンプリングしたもの)も、結果としてそのまま海に入ってもいい“海水シドジャン”なんてものにも派生しますしね(笑)。
ヴィンテージにこだわってシドジャンを作っておいて、雨天時用に防水シドジャン、そのまま水に入れる海水シドジャン、とアップデートしていく……実にふざけていますね(笑)。blackmeansらしいやり方だと思っています。こんなアプローチは誰もしませんよね。でも、そういったものの積み重ねで、blackmeansのイメージは出来上がっているのが事実だと思います。blackmeansらしいものを作り、楽しみながら自分たちにしか出来ないことを続けていった結果として、他の何でもないblackmeansが確立できたら最高ですね。
好きなものを作り、ファッションブランドとしていいとこ取りをして、確固たる地位を確立している。とても理想的なライフスタイルのように聞こえます。
でも、自分の中で特に最高に気に入ったものが出来たと思えたとしても、それが結果、全く受け入れられないことも、ほぼ毎シーズンありますよ。気持ちを入れたもの程、受け入れられないと心に直接ショックを受けますからね。逆に軽い思い付きで作ったものが凄く売れたり。でも、10年そんなことを続けてると、ハートが強くなってきていて……(笑)。作る時点で、これは受け入れられなくても作るべきだなって思ったら、周りに止められても作りますからね(笑)。blackmeansの展示会はブランドの規模からするとサンプルの数も多く、もっとこじんまりした展示会にした方が無駄も少なくて、ビジネスとしては合理的なことは分かっているつもりなんですけど、それではイメージが伝わらないので。
僕は10代の初めにパンクに出会い、パンクの人たちが自分で服をカスタマイズしていることを知りました。僕は手先が器用だったこともあり、洋服や家具、楽器など、身の回りの全ての物に自分の手をかけているうちに、何もかも自分のもの(オリジナルという意味)にしないと気が済まない性になっていったんだと思います。その時期にものを作っていた感覚や、楽しさが、その後、専門学校で技術を学んだ後よりも、今の自分にとっては大きな価値になっていると思います。もちろん技術を学ぶ以前に作ったものは、服の作り方を知らない人が作ったなりの、独特なものになりましたけど。自分で作ったものや、考えたものって完成すると愛着が湧きますよね。作り手の癖だと思いますが、物を見た時に、自然にその構造や、それを作った人の気持ちみたいなものを想像してしまいます。例えば、僕が作ったものでないとしても、友人がメッセージを込めて友人を励ますために刷ったTシャツにも惹かれます。



言い換えると、気持ちがこもったもの、ということでしょうか。
それと、バンドTシャツが好きです。バンドTシャツって、カッコいいものが多いですよね。実際に存在するバンドのジャケットや曲名や曲の一節とか、バンドが労力をかけたビジュアルやメッセージがTシャツにプリントされているので、よりリアルで説得力を感じます。気持ちが込もったとは少し違うかも知れませんが、バンドTシャツは実在するストーリーが込められた感じが好きです。
話しは少し変わりますが、ショップ・イン・ショップを構えられている『LABORATORY/BERBERJIN R』にお邪魔した際、blackmeansのデザイナーや職人の方々はすごくユーモアに溢れ、笑いに絶えないチームだと伺いました。
展示会前とかは、追い詰められてますよ。プレッシャーや緊張感の中でも、その状況だからこそ、180度現実とは正反対の方向に心が解放されて自由な発想ができるものじゃないかなっていう気がします。
例えば、BRAND NEW TRIBEというシーズンがあったのですが、ギリギリまでベルトに付けるアクセサリーが決まらなくて、結局、TRIBE(部族)がテーマだったので、道端に転がってる石を拾って、それを革で包んでベルトからぶら下げることでデザインが完成しました(笑)。オシャレに、とか、カッコ良くということばかりにとらわれ過ぎると、楽しむ気持ちを忘れそうになりますよね。好きでやっていることだから、どんな時でも楽しめなくちゃダメかなって思いますね。僕もそういう魅力を服に感じる時があります。
古着のプリントTシャツもそんな感覚で手を出したりしますよね。
そうですね。お店でblackmeansのものが並んでいるところまで、僕たちが楽しんでいる空気が伝わればいいですね。






そのなかでも「blackmeansらしくなければいけない」と思う部分もあるのでしょうか?
blackmeansの服を着た人が人混みの中に埋もれて見えなくなってしまうものにはしないようには心がけています。ファッションはアウェイでなんぼって思っていますから。人混みに溶け込むようなファッションを好む人がいることも自然で、世の中がそうだからこそ、blackmeansの服とミニマルなファッションが引き立て合える、ということが理想ですね。
小松さんはコレクションブランドも経験されていますが、最近ではコレクションシーズンをあえて外して独自でショーを開催しているブランドも増えてきていますよね。小松さんはコレクションを含め、ファッションの形態そのものをどのように俯瞰されていますか?
ほんの10年程前、僕がblackmeansを始める少し前は、ヒップホップなどのストリートカルチャーがパリのお店やファッションから毛嫌いされてるような空気をはっきりと感じていたのですが、今ではメインストリームに躍り出てますよね。時代の流れによって新しく力を持ったカルチャーが古い体制の壁を壊すのを何度か見てきました。僕はそういう瞬間を凄く痛快に感じますが、一方で、ファッションのメインである、長い伝統のあるパリという場所に対しては憧れもあります。毎年2回、新しい物が生まれると同時に半年前まで最新だったものが古い物に変わり、常に新しいものの価値が最も高いというそのシステムを考えた人は凄いと思います。毎年、同じ土俵でファッションブランドが戦い続けること自体、本当に凄いことだと思っていますが、同時に、“それに対する何か”を期待してしまう気持ちも持っています。
革命的な何か。僕の人生において12歳で出会ったパンクは革命的でしたが、その時から既に、革命から生まれたパンクというカルチャーから、その空気を感じていたのではないかという気がします。今も、自分にインパクトを与えてくれる何かを常に期待しているんじゃないかと思います。それが僕にとってパンク以上に素晴らしいものであれば、出会いたいですね。



フォトグラファー
Yosuke DemukaiContributor
Yudai Murakoshi