〈Modernica〉継承され続けるミッドセンチュリーのデザインと美学

21世紀に入って、ミッドセンチュリーのモダンなクラシックな生産のリバイバルが続いている。しかしそれは人気が漠然と続いた1980年代末の状況とは異なっている。同時期に、正確に言えば1987年に舞台美術を

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21世紀に入って、ミッドセンチュリーのモダンなクラシックな生産のリバイバルが続いている。しかしそれは人気が漠然と続いた1980年代末の状況とは異なっている。同時期に、正確に言えば1987年に舞台美術を手がけ、ヴィンテージコレクターであった「Frank Novak(フランンク・ノヴァク)」は、メーカーに彼のためのオリジナルのミッドセンチュリーチェアをつくってもらえるようにカルフォルニア中を探していた。勤勉な彼は最盛期に 「George Nelson(ジョージ・ネルソン)」、「Charles & Ray Eames(チャールズ&レイ・イームズ)」のアイコニックなデザインの製造を行なっていた「Century Plastics(センチュリー・プラスチックス)」(イームズとの開発当時はZenith社)に行き着いた。その工場の当時からのエンジニアである「Irv Green(アーヴ・グリーン)」と「Sol Fingerhut(サール・フィンガーハット)」が会社を運営していた。幸運なことに長い月日ををかけて探したチェアは錆びもなく、日焼けしていない状態で古いプラスチック工場の駐車場の片隅にあったのだ。その時代の消費者にとって、シェルチェアは過去の遺産となりつつあったが、ノヴァクはかつてのままにマスターピースとして崇めていた。その後、この生産が終了しているチェアをセンチュリー・プラスチックスからもらい始め、結果として彼自身のショップでありショールームである〈Modernica(モダニカ)〉が生まれたのだった。



Modernicaの中心となる方針はミッドセンチュリーのモダンファニチャーへの敬意だけではなく、それらをつくったデザイナーや先見の明のある人たちへの敬意に深く精通していることだ。きちんと整った形でオリジナルのデザイナーたちと同じデザインの仕様書を固く守ることで真にオーセンティックな復刻を行なうというこだわりがある。いす張り用の布、詰め物などから木材、メタル、セラミックなど、そしてクリエイティブな柔軟さを持つグラスファイバー製品のための全てにわたって、この精神を感じることができる。Modernicaはこれらのファニチャーのピースを生み出す戦後まもなくから使用されたオリジナルのプレス機や、プリフォーム機を使っている北米でおそらく唯一のメーカーではないだろうか。アーヴ・グリーンとサール・フィンガーハットの指導の下でノヴァクとその兄弟である「Jay(ジェイ)」 は長年の熟練した技術なしには真似ることのできない機器のオペレーションやグラスファイバーの取扱い方といったプロセスを直に習得していった。スタジオのCase Study(ケーススタディ)イニシアティブを通して、Modernicaは、このように長年にわたってタイムレスなデザインを再現するのに必要な美学と複雑なプロセスを維持することに努めている。伝統を守っていく中でさえも、彼らはものづくりに価値のある斬新なテクノロジーに対してオープンであり続けている。最近では、Modernicaは〈BAPE〉、〈Diamond Supply Co.〉、〈Krink〉、〈HUF〉、〈The Hundreds〉といったストリートカルチャー大手とコラボレーションを行なって、それぞれの空間のためのエクスクルーシブなチェアのシリーズを手がけている。



グラスファイバーチェア(そしてその多くのバリエーションも含め)はModernicaのミッドセンチュリーのねらいやデザインにおいて最重要ピースのようだ。彼らの人生で最も重要な出会いとなる革命的なデザインのチェアの誕生は1948年に遡る。チャールズ・イームズが初めてシェルチェアのプロトタイプを紹介したのは、ニューヨーク近代美術館(MOMA)主催の「国際低コスト家具デザイン・コンペ」に応募したときだった。そのデザインが大量生産されることになったとき、イームズは大規模の生産のために新しいファイバーグラス製造過程を行なっていたエンジニアのサール・フィンガーハットに製造を依頼した。グラスファイバーは革新的でウルトラハイテクな耐久性のある日用品としてのファニチャーのソリューションとして考えられていた。イームズのコストパフォーマンスの高い家庭向け及びオフィス向けのファニチャーは人気が衰えるまで、少なくとも30年にわたってその繁栄を誇っていた。その時代の技巧の要素をいかにして守っていくかということをなんとか学んで、ゼロ年代の初めに、ノヴァク兄弟はミッドセンチュリーデザイン主義の到来を牽引した。

現在、ModernicaのCase Study Furniture(ケーススタディファニチャー)の製造で用いられている技術は18世紀末、19世紀初頭にまで遡ることができる。これは産業革命がもたらした技術なのだ。彼らは閉鎖されたプラスチックメーカーから機材をかき集め、最適なオペレーティングコンディションをもたらすよう再設計を行った。現代のプラスチック産業では時代遅れのテクノロジーともいえるが、当時の手法を効率化することで生産性を高めていった。ほぼ自動化されたプロセスはなく、直感的で、実践的なものづくりの精神を持った工場の熟練した技術者の手によって営まれていた。熱はスチームボイラーから、圧力は手動のプレス機から生み出され、金型成型の加工はノヴァク兄弟が「原始的」と表現しているくらいだ。



グラスファイバーチェアに限り、Modernicaはそれをつくるために特別に設計された、1960年代の第2世代のプリフォーム機を使っている。その加工は細かく切られたグラスファイバーをシェルの形のスクリーンの方へ吸引することから始まる。シェルの形のファイバーがプリフォーム機を離れたら、高度に訓練された職人によって検品される。 職人が不要な繊維は手で切り取り、望まれたシェイプに形を成型する。20世紀に化学者によって発明された合成樹脂は、シロップのような合成物質で、型に流し込まれ、すべての繊維や縁にまで行き渡る。この時点で樹脂でコーティングされた型はプレス機に置かれ、もっぱらスチームの熱で約93.3度以上にまで沸かす。触媒が樹脂に加えられ、シェル素材の加工処理や固めるのを加速させる。このような加工は素材に対しての感覚が備わっているModernicaの職人だけで行なわれている。固まり切ったら、プレス機を持ち上げ、縁の過剰な部分をもう一度切り取る。Modernicaの設備で使われているまさにその機器は実際に北米全土で今でも動かされている唯一のマシーンの一つなのだ。このチェアメイキングの独特な方法についてノヴァクは熱く語る。「一度は失われた加工方法で、懐古的で廃れたものだけど、僕らのシェルを最終的に望んだ製品にしてくれる唯一の方法なんだ。」ここにはオペレーションにあたって能力を測るものはない。あるのはただ、深く身についた習慣、工場で何年にもわたる見習いの期間を経ることが必要とされている。それは時間と労力を要する加工で、一つ一つ行なわれる。そしてさらには、明らかにより速く、効率的でエラーを最小限に抑えて生産できる現代の注入型に比べて時間がかかるのだ。他の現代的な復元装置はより安く、速い生産能力のためにシェルの寿命やグラスファイバーの張力を犠牲にしている。このオリジナルの時代遅れの加工の利点は、そのノスタルジアとともに、一つ一つ手でつくられた工芸品であり、長持ちし、美しいこと以上にシンプルであるものを生み出すというコミットメントをもってつくっているということだ。Modernicaの創設者にとって、他にはない特性を持つチェアをつくるということは、利益やコストパフォーマンスの追求よりも、オリジナルのマスターピースを再現することに他ならない。彼らが信じる製品をつくるための対策を導入するということは、デザインにおける完璧さに他ならない。



Modernicaがゼロ年代初頭にチェアを再生産し始めたとき、新しい化学的アプローチが必要だった。グラスファイバー加工でクリエイティブになるためのModernicaのインセンティブの一つは最初期のシェルが持っていた半透明さを再現することだった。エンジニアは鉛のような有毒物質を排除しながら、合成樹脂の混合物で チェアのヴィジュアルとしての完全な状態を再現できるように開発した。半透明さにおける洗練された調整がチェアのためになされ、それは間接光との関係やある色合いにおいて特に生き生きと現われた。このフォーミュラでの調整が、試みを後押しするグラスファイバー加工の新たな始まりに勢いをつけた。伝統的な手法が維持された時代遅れのあり方の中でわずかな近代化が図られたが、その境目はある程度押し上げられたのだった。

この10年の前半までの移行は真のクラフトマンシップへの傾向が、ミッドセンチュリーのものづくりを再び妥当性を持ったものへと前進させたことをかなりはっきりさせた。彼らはデザインや他業界の企業と新しい関係を築き、現代社会とのギャップを埋めている。スケートやストリートウェアブランドとのコラボレーションプロジェクトでは若い層への認知拡大を実証している。代表的な例が日本が世界に誇るストリートブランド〈BAPE〉とのプロジェクトだった。イームズの最初の復刻版を採用し、ModernicaにBAPEを象徴するカモフラージュ柄を落とし込んだのだ。カルフォルニアの〈Diamond Supply Co.〉と〈HUF〉はリミテッドエディションのチェアをつくり、最近では〈The Hundreds〉が“CMYK”アームチェアロッカーを披露した。カルフォルニアにルーツのあるモダニスト・ムーブメントを守りながら、ノヴァクは強調する。「クリエイティビティのレベルはもう最高だよ。彼らは『あなたのチェアに自分のロゴをつけてほしい』なんて言わないんだ。彼らは僕らのチェアに彼らのアイデンティティを加えることを求めているんだ。」クリエイティブに対して常にオープンなマインドを持つModernicaは新たな試みにも前向きだ。目の粗い麻布を差し込んだり、蛍光材やDayGloの蛍光顔料バージョンのシェルを試している。2014年には“52 in 52” という新しい企画が披露された。ファイバーグラスチェアが52週にわたって毎週これまでにリリースされていない新色カラーで発表していくという企画だった。「僕はあらゆる可能性を探求し始めたばかりだと思う」と語るノヴァク。「Tシャツにどれだけ多くの様々なものをプリントできるか、という考え方と同じだね。」



Modernicaは今後も華美であったり過剰な装飾よりも上品で合理的なエレガンスさを好んだイームズやジョージ・ネルソンといったミッドセンチュリーの先見の明のあったイデオロギーによってその指示され続けていくだろう。センチュリー・プラスチックスでサール・フィンガーハットによっていかに伝統的な工芸がModernicaのノヴァク兄弟に引き継がれたかということと同様に、製品それ自体が時を越えて一つの世代から次の世代へと継承されていくことができるのだ。


この記事は現在セレクトショップと一部書店にて発売中の『HYPEBEAST Magazine Issue 8: The Perspective Issue』に掲載されています。また、ロサンゼルスにあるModernica本社と工場での映像もお楽しみに。

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