NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の現場から現在地まで ── Vol.4
【活動休止から再始動、そして現在】
『THE LABORATORY』がリリースされたのは2011年の元旦だ。積極的に外部プロデューサーを招き入れ、ニトロの新たな世界観を提示する意欲作となるはずだったが、「もう何もやれないんだったら活動休止を宣言したほうがいい」と社長が提案したように、この2カ月後に東日本大震災が起き、国内すべてのエンターテインメントがストップしたことも活動休止に大きな影響を及ぼした──。
本来であれば新作を携え、定期開催のライブ興行「NITRO CAMP」で全国を行脚する予定だったが、未曾有の大災害に阻まれ断念せざるを得なかった ── Vol.3で詳述した通り、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND(ニトロ・マイクロフォン・アンダーグラウンド)は2012年から実質的な活動休止に入る。短期集中連載の最終となる本稿では、活動休止からの再始動、そして彼らがたどり着いた現在地までを振り返る。
「どうしても3.11がデカい。音楽はもちろんだけど、全国の洋服屋も同じだよね。特に被災地に至ってはおしゃれよりお米のほうが大切でしょ。アルバムでツアーを組めないし、nitraidは先の展示会用の準備とかに入る段階だったけどそれどころじゃない。当時は金銭面とかも含めてメンバー間で揉めちゃったりして、結果的に時間が解決してくれたってのもあるけど、正直しばらく険悪な時期はあったよね。ただ、『壊さなくていいものは壊さなくていい』って言ってたんだ。これだけはみんなに言い続けてきた唯一のこと。今ももちろんなんだけど、当時からメンバーそれぞれのファミリーツリーができていて、その枝分かれした先々でそれぞれのコミュニティが出来上がってたわけじゃない? それを大事にするというかさ、結局ニトロはみんなソロの塊なんだから」(MACKA-CHIN)
「活動休止以降、それぞれがソロ活動をしていくことになるんだけど、昔からソロの動きに関してメンバー間で干渉しないみたいな暗黙のルールがあったんですよ。『こないだの曲、どうなの?』みたいなことは本当になかった。本来グループありきのソロ活動だったら、少なからず統制が必要とか制限を設けたりするんだろうけど、ニトロの場合は八者八様の広がりを尊重するというかね」(XBS)
さまざまな感情が交錯した上での活動休止となったわけだが、MACKA-CHIN(マッカチン)が述べたように、そもそもニトロはソロの塊でもあるため、そこまでネガティブな印象に囚われることはなかった。むしろ母体で培った英気を各々がソロでどのように表現していくかの期待のほうが上回り、実際に個々のソロ活動を振り返れば、そこで得た経験を本体にフィードバックできたのではないだろうか。結果としてニトロは約7年間の活動休止期間を設けたが、その間にもっとも印象的だった動きは、DABO/MACKA-CHIN/SUIKEN/S-WORDで結成した“東京弐拾伍時”なるプロジェクトだろう。
ニトロのプロデュース/ライブDJも担う戦友・DJ HAZIME(DJ ハヂメ)の差配によって誕生したプロジェクトは、当初こそグループ名を冠した楽曲『東京弐拾伍時』だけの単発的ユニットだったが、久々に制作で顔を合わせた面々が1曲で落ち着くわけもなく、結果ミニアルバム『TOKYO 25:00』の完成へと辿り着く。プロデューサーは『東京弐拾伍時』を手がけたBACHLOGIC(バックロジック)をはじめ、DJ WATARAI(DJ ワタライ)、MURO(ムロ)、JIGG(ジグ)が参加し、ミックス/マスタリングは安定のD.O.I.の手によるものだ。また、当時フォトグラファーとして頭角を現してきたcherry chill will.(チェリー・チル・ウィル)がアーティスト写真を撮影するなど、付けいる隙のない布陣でリリースを迎えたのは記憶に新しい。そしてなにより、袂を分かつことになった古巣『Manhattan Records(マンハッタン・レコード)』での活動再開も、いま思い返せばドラマチックなめぐり合わせだ。DABO(ダボ)が当時を振り返る。
「東京弐拾伍時で『時間ヨ止マレ』って曲があるんだけど、この曲を作れただけでも東京弐拾伍時をやってよかったなって思うんだ。生き死にがテーマなんだけどさ、我々がラップ始めた時代なんてみんながみんな虚勢に虚勢を重ねてたような時代で、のび太みたいなやつだって喧嘩十段みたいなラップをしてたわけじゃん? でも、時代を経てセンシティブな面をラップする曲がアメリカでも広まってさ、わかりやすく言うとドレイクとかカニエとか。こんなことまでヒップホップになったんだねー、みたいな。ニトロがデビューした頃はヒップホップが好きすぎるピュアさに邁進してたけど、年を取るとさ、いちラッパーとしてのピュアな気持ちをリリックに落とし込めるようになってくるんだよね」(DABO)
DABOが述べた通り、東京弐拾伍時と前後して国内外のヒップホップシーンは大きな変革期を迎えていた。“リアル”という言葉の価値観に変化が起き、強さを誇示するスタイルが継承されつつも、虚無感や欠落感すら武器に変える ── そうした個としての美学もヒップホップの評価軸に加わり、旧来の美学との共存がうねりとなって新たなフェーズへの扉が開かれる。もはや不文律のようにシーンを縛り付けていたセルアウトの強迫観念もその役割を終え、表現の自由を妨げる壁として機能しなくなっていた。
8つの個が描いた新たな軌道
『東京弐拾伍時』のミュージックビデオが公開された2014年夏、それよりひと月ほど早く新たな扉の門戸を叩いたのはDELI(デリ)だ。東日本大震災が引き金となり、より一層社会情勢に関心を抱いたDELIは地元・千葉県松戸市議会議員選挙への出馬を表明。音楽活動と並行し、反原発運動などを通じた社会への問題提起をSNS上で続け、アーティストとしての意志を貫く意味からも本名ではなく“DELI”名義で出馬し見事当選。現在も3期目の当選を果たし、ラッパーと政治家という異なるマイクパフォーマンスを武器に、自身の思いを民衆に説いている。
DELIに同じく、他メンバーも挑む姿勢は崩さない。同年に音楽レーベル「術ノ穴(すべのあな)」からアンビエント・アルバム『静かな月と夜』をリリースしたのはMACKA-CHINだ。「やりたいことだけをやっている」精神に違わず、その前年に全楽曲を初めて外部のプロデューサーに委ねた『incompleteness theorem』(2013年)、2016年にはDJとしての側面を打ち出したコンピレーション・アルバム『MARIRIN CAFE BLUE』もリリースし、東京弐拾伍時も含め、実に濃すぎるソロ活動を展開。
DABOも積極的に動く。2014年に自身が主宰するレーベル「Feel No Pain(フィール ノー ペイン))」を立ち上げ、翌年にはUSヒップホップをDABO自らが日本語でカバーするシリーズ『DEEP COVER』を発表、ニトロの活動再開前には久方ぶりの自身名義の作品『NANA』もリリース。もちろん、その間もメジャー/インディ、そしてジャンルの垣根を越えた客演仕事もそつなくこなすフットワークの軽さはお手のものだ。
ライフワークとしてカメラを嗜んでいたXBS(エックスビーエス)は、取材で「XBS名義ではニトロの看板が邪魔をするので、正真正銘のカメラマンとして仕事をしたい」という思いから本名 “深見展啓”名義でフォトグラファー活動を開始。バスケットボール・メディア『ABOVE MAGAZINE』や『FLY』のクリエイティブ・ディレクターも兼業し、異分野の現場でアイデンティティを見出す。
SUIKEN(スイケン)とS-WORD(スウォード)は東京弐拾伍時の活動に加え、“SUIKEN×S-WORD”としてリリースした2005年のコンセプト・アルバム『HYBRID LINK』のリミックス・アルバム『MASTERS LINK』を2012年に発表。大沢伸一によるハウス・リミックスやボルティモア・クラブのビートに変換されたD.O.I.がリミックスする『Yes Yes!』をはじめ、より自由度が増した現在のヒップホップのサウンドと比較しても遜色ないクオリティを保ち、今だからこそ耳を傾けたい作品だ。また、SUIKENは2010年に重厚すぎる自身4作目となるアルバム『Development』も発表。
GORE-TEX(ゴアテックス)は“LA TORA JACKSON”としてブランド・ディレクターを務めるアパレル〈raidback® fabric(レイドバック ファブリック)〉を始動させ、〈APPLEBUM(アップルバム)〉とのコラボ商品を販売するなど、長年培ったセンスをプロダクトへ鮮やかに反映。BIGZAM(ビグザム)は恵まれた体躯を活かし、音楽活動と並行して俳優業へ食指を伸ばす。本名である“新谷広幸”としての活躍が期待されるさなか、詳細は割愛するが現在は活動休止を余儀なくされている。
XBSが語ったように「NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのメンバーである」ことは、ソロ活動において時に呪縛として機能することがあるかもしれない。しかし不思議なことに、ソロ活動をジャッジする際に「NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのメンバーである」というその呪縛は、おまけのように感じる矛盾も持ち合わせている。なのに、八人八様の流儀をソロで貫き、本体へと戻ると付加価値の一言では到底済ませられないエネルギーを放つのだから、もはや理屈を超えた超常現象にすら映る。Vol.1のDJ WATARAIの取材で、この“ニトロらしさ”と言える不可思議な現象について言及していたので、再度引用したい。
「ニトロは東京らしい洗練された空気感が最大の武器のひとつ。それでいてメンバー一人ひとりが強烈な個性を放ってるから、グループとして見ても“まとまってるのにバラバラ”という絶妙なバランスが成立している。そして、どんな時代のトレンドもいったん自分たちのフィルターに通してから吐き出す。流行を追いかけるんじゃなくて、流行を“彼ら色”に染め直す。だから聴くたびに“今”を感じつつ、どこかタイムレスな魅力も同時に味わえる。これがニトロの最強の魅力だと思います」(DJ WATARAI)
これぞニトロが導き出したひとつの最適解だ。活動休止から再始動前後の主立ったソロワークスは以下を参照してほしい。
結成20周年を迎えた必然的再始動
2019年、7年間の活動休止期間を経て、8人が揃い再始動に至ったのは、NITRO MICROPHONE UNDERGROUND結成から20年を数える節目だ(正確にカウントすれば、1996年に開催された『さんピンCAMP』の20周年を祝す『さんピンCAMP20』への出演で集結)。その帰還を告げる曲となったのが『LIVE99』に倣った『LIVE19』で、この粋な計らいと共に同タイトルのワンマンライブを告知すると瞬く間にソールドアウト。この現象こそ彼らの復活を待ち望んだリスナーからのこれ以上ないアンサーと言えるだろう。しかし、このワンマンをもってソロ活動に専念すべくS-WORDはグループから離脱する決断を下し、ニトロは7人体制へと舵を切る。
「『LIVE19』のMVを木村太一(CEKAI)に撮ってもらったように、再始動するにあたって若いクリエイターと絡んだほうがいいっていうのが僕の主張だったんですよ。いかに絡めるか、絡んだところで形にできるのか、そこで生まれるシナジーがあれば面白いんじゃないかって」(XBS)
再始動を宣告するために制作された『LIVE19』はリリースこそされなかったが、その約半年後にシングルとしておよそ9年ぶりとなる『歩くTOKYO』をリリース。そこでXBSが「シナリオなどない未知の絵を描くよう/言霊を繋ぐ前人未踏へと」とラップしているように、ニトロは相互作用をもたらすクリエイターと版図を広げる選択にシフトしている(続く『ナンカナイノカヨ』(2020年)ではNumb、『ALGO』(2021年)にはPART2STYLEといったプロデューサーが名を連ねる)。そして2022年、『FIRE』「Choose One』『ケモノミチ』の3カ月連続シングル・リリースを経て、オリジナル・アルバムとしては実に12年ぶりとなる『SE7EN』が満を持してリリースの日を迎える。
リードトラックとなった3曲を含め、サウンドの変化にある種の違和感を覚えたリスナーも少なくないだろう。「ニトロが若年層に迎合する必要はない」といった声も散見されたが、これは彼らが当初から貫いてきた「やりたいことをやっただけ」の令和版である。かつての瞬間風速は勢いを潜めたが、送り手も受け手もそうした予定調和を求めてはいない。『SE7EN』リリース直前に両国国技館で開催されたフェス『THE CREW -6 MAN SPECIAL LIVE-』にBAD HOP(バッド・ホップ)やKANDYTOWN(キャンディタウン)、CreativeDrugStore(クリエイティヴドラッグストア)らと同じ土俵に上がったことにも言えることだが、余計な物言いはせず、時代における番付は後続の黄金世代に委ねる円熟期に移行しただけのことだ。
翌年には『SE7EN』リリースのワンマンを行い、MACKA-CHIN/SUIKEN/TinaによるMONTIEN(モンティエン)もニトロ再始動に背中を押されるような形で再び合流を果たす。音楽活動を軸に政治、服飾、銀幕、フォトグラフィと活動範囲を拡大するなか、2024年に前述『THE CREW』で共演したBAD HOPがニトロに白羽の矢を立てる。同年2月に惜しまれながらも解散したBAD HOPのラストアルバム『BAD HOP (THE FINAL Edition)』に収録された『8BALL CYPHER』をYouTubeで公開、周知の通り、ニトロの代名詞である楽曲『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』をサンプリングした楽曲にはDABO/DELI/GORE-TEX/SUIKENが参加し、Benjazzy/YZERR/Tiji Jojo/Barkの8人によるマイクリレーでシーンの系譜が鮮やかに描き出された。
宇田川と川崎による新旧の邂逅はニトロ再始動の熱を加速させる十分な推進力となり、2024年にNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDなるグループを初めて知った新世代への強烈なプレゼンスとなったはずだ。すでにこの頃には次作の制作へと着手していたニトロは、2025年にニトロらしさでしかないシングル『SHUTTA』のリリースへとつなげる。そして年末の『Day One』、2026年の一発目を飾る『Black Moon』へと駒を進め、今年リリース予定の6作目となるアルバムへと導く。
「DELIは地元で市議会議員をやっている、GORE-TEXはアパレルをやってる、MACKA-CHINはラジオのパーソナリティをやってるらしいよ ── メンバーそれぞれがニトロを恥ずかしいものにしたくない、という意思は持ちながら、常にクオリティアップを目指してきてる。でも、初期衝動というかさ、みんな韻を踏むのが楽しくて、結局言葉遊びも続けていきたいだけだと思うんだよね。BIGZAMなんて落語聞いて勉強してるしさ。ラッパーは言葉を使うプロで、言葉とともに生きてるからさ、いつの時代も映画を観たり本を読んだり、言葉の引き出しは増やしていきたいと無意識で感じてるのは本能なんじゃないかな。そういう意味でも、次のアルバムは個々の課外活動が結実したアルバムになると思うんだ。みんないろいろヒップホップ以外にも浮気してきて、そこにニトロにしか作れない年相応のアップデートされたヒップホップの思いが込められてる。みんな硬派なヒップホップをやりたがってるはずだから。ニトロのメンバーが50歳になって、もう一度正面からヒップホップを表現していく感覚、これって今の僕らがハマってる遊びなのかもしれない。もしくはこの時代に落とされた宿命みたいな感じでもあるよね。
矛盾するかもしれないけどさ、やっぱ僕らってミュージシャンになりたかったんだと思う。今でも目指してるし、入口はラッパーでもそこから抜け出してミュージシャンになりたがってる。けど、ミュージシャンにはまだなれてない。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDがミュージシャンになるかどうかは、次のアルバムでわかることかもしれないね」(MACKA-CHIN)
言葉を選ばずに言えば、ニトロの面々はとても丸くなった。ただ、いま彼らを目の前にしても、あのとき感じた威圧感や緊張感は条件反射で現れてしまうが、そこには穏やかさが見え隠れする。かつて「尖っていた」と自認する人間は「丸くなった」という表現に、少しばかりの抵抗感を覚える。しかし、先っちょが鋭利で刺すような刺激だった過去に対し、現在は曲面化しているのなら、それは刺激を与える範囲が広くなったと解釈することもできる。前述の『8BALL CYPHER』の共演は、まさにその例に当てはまるのではないだろうか。
「NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDは青春だ」という世代は多い。しかし、彼らはムーヴメントを起こす気概を持って誕生したグループではない。音楽、ファッション、カルチャー、土地、そして時代というすべてが味方となり、圧倒的なセンスとスキルを持ち合わせた面々が集結した、東京、引いては日本のヒップホップシーンにおける唯一無二の突然変異だ。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが打ち立てた金字塔とは何か。そして、彼らが壊さず守り抜いた真価は何だったのか ── その回答は、ニューアルバムという最新のステイトメントによって導き出されるはずだ。
【Behind the Words】
支柱的トップエンジニアと、交わることのなかったトップMC。異なる角度からNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDという現象を照射する回顧録を、“ボーナストラック”としてお届けする。
宇多丸(RHYMESTER)
同時代を共に走り続けた別軌道からの証言
「ニトロが与えた衝撃というのは、大きく言えば、インディペンデントでアンダーグラウンドなカッコよさを保ちながらメジャーな華もめちゃくちゃある活動スタンス、メンバーそれぞれスキルやキャラクターの方向性には実はかなりの幅があるのに、いざ全員揃うとやはりグループとしての色がバキッ! と出るマジック感など、大所帯ヒップホップクルーのあり方にひとつの完成形を示したところ、でしょうか。
日本のヒップホップ~ラップ史上最大の革命的存在はマイクロフォン・ペイジャーだと私は考えていますが、その言わば正統継承者でありつつ、そうしたスタイリッシュで尖ったスタンスをよりメジャーなフィールドでもシレッと大規模に展開できてしまっている新世代。カッコいいなぁ、うらやましいなぁ、という感じ。ああいうふうには、自分には絶対にできないので。先の回答でも言った通り、『メンバーそれぞれスキルやキャラクターの方向性には実はかなりの幅があるのに、いざ全員揃うとやはりグループとしての色がバキッ!と出る』ところも、すごくいいなと思う。結果、全方位的に“強い”。
今となっては、たまに集まってくれればありがたいし、やればやったでやっぱりしっかりカッコいい、“東京のヒップホップ”のある種アイコン的(僕の年齢立場で言うのもなんですがw)、レジェンド的存在だと思います。新作(『SHUTTA』『Day One』)も聴きましたが、『相変わらずイケてんなぁチキショーめ!』に尽きます」
D.O.I.(Daimonion Recordings)
長年NMUのサウンドを支えてきたトップエンジニアの述懐
「ニトロのサウンドの面白さは、その時々の旬な感覚を押さえつつ、さらに個人個人の思い入れのあるさまざまな方向性を試しているのですが、なぜか最終的に一貫したニトロらしい個性というものになる点。立場上、どんなアーティストさんも同じようなマインドで接しているつもりなのですが、ニトロに関しては自分のキャリアの最初期から関わらせてもらっていることもあって、正直特別感があります。良い意味で仕事的なニュアンスより、ヒップホップ好きの仲間とワイワイやってる感じも強く、いまだにどこか面白ければOKといった素晴らしいアマチュアリズムがあったりもします。
これまでの仕事で一番印象に残っていることはファーストアルバムの制作です。その当時はカオスすぎて客観視できなかったのですが、出来上がったものをまとめて聴いたらあまりにも素晴らしくて当時のレーベルのトップの方に『これ、すごい良いアルバムできてる気がするので、プロモーションとか含めてちゃんと動いたらとんでもないことになるかも』と電話をした記憶があります。制作の際に心がけていた点は、『ダメそうでも出たアイディアは必ず試す』という点です。いろいろ試して結局もといになることも多いのですが、あとで聴いて『これやって良かった』と思うことも結構あったので。セカンドアルバムの何かの曲のミックスの際、長時間いろいろ試しててそろそろこれでフィックスかなと思ってたとき、メンバーから『すいませんD.O.I.くん、4時間前にアンドゥできたりしますか?』と言われ『えっ?』となってたら、『やっぱり一番最初に聴かせてもらった状態が良かったかも』って言われたのはいまだに自分に中ですごく面白かった出来事として記憶してます(笑)
かなり振り幅の広い個性が、なぜかまとまってしまうところがニトロらしさでもありますよね。ラップもトラックも実はかなりいろんな方向に振り切っていて、普通だったらまとまり悪くなりそうですが、なぜか完璧な1つの個性にまとまってしまう。単純にメンバー一人ひとりのセンスがかなり良いというのが大前提でありますが。ちなみに今年リリースされるアルバムでもトラックを頼まれたりもしたのですが、ありがたいことにエンジニア業が忙しくずっとトラックを作っていないので、今回はミックスエンジニアのみで参加させてもらっています」
・次章を見据えた NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の矜持 | Interviews【ニューシングル『Day One』リリース記念インタビュー】
・NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の現場から現在地まで ── Vol.1【グループ結成〜Def Jam Japanとのメジャー契約】
・NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の現場から現在地まで ── Vol.2【本来の信頼を担保する必然的ソロ活動】
・NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の現場から現在地まで ── Vol.3【ファッションブランド nitrow/nitraidの設立〜Nikeとのコラボレーション】



















