NITRO MICROPHONE UNDERGROUND の現場から現在地まで ── Vol.2
【本来の信頼を担保する必然的ソロ活動】
NITRO MICROPHONE UNDERGROUND(ニトロ・マイクロフォン・アンダーグラウンド)が同タイトルのファースト・アルバムをリリースした2000年、国内で唯一のヒップホップ専門誌である『blast(ブラスト)』(2007年に休刊)は、恒例企画の年間アワードにおいてニトロを〈BEST GROUP〉と〈BEST ALBUM〉部門で選出した。当時はアワードの各部門を洋邦で隔てることはせず、純粋に「その年を象徴する作品/アーティスト」を選んできた同誌の〈BEST ALBUM〉部門では2位以下にWu-Tang Clan『The W』、Jurassic 5『Quality Control』、De La Soul『Art Official Intelligence: Mosaic Thump』、OutKast『Stankonia』、〈BEST GROUP〉部門においては、OutKast(アウトキャスト)、M.O.P.(エムオーピー)、Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)が選ばれている。
この結果だけを受け止めれば、すでに国内のヒップホップシーンは形成されているかのような錯覚にも陥るが、振り返ってみると、まだまだ試行錯誤と暗中模索の時代であったようにも感じる。なぜなら、ヒップホップ好きであっても、“日本語でラップをする行為がナンセンス”だと毛嫌いする、今なら化石扱いされてしまいそうな意見も根深く残っていたからだ。その背景には、創成期や第一次日本語ラップブームの未完成さが尾を引いていた可能性も否めないが、「ニトロマイクロフォンなんとかはウータンのパクリ」だと揶揄する面々からしたら、アワードで『The W』を差し置いて首位を獲得したことは、まさに青天の霹靂だったのではないだろうか(ちなみに当時の絶対的支持の高い海外勢の作品を抑え、ニトロのほかにBUDDHA BRAND『病める無限のブッダの世界 – BEST OF THE BEST(金字塔)』やMURO『Pan Rhythm: Flight No.11154』がアワードのベスト10に選出されている)。
また、サウンド面で言えば、DJ Premier(DJ プレミア)を筆頭にPete Rock(ピート・ロック)やLord Finesse(ロード・フィネス)、J Dilla(J・ディラ)といったサンプリングを軸としたプロダクションから、The Neptunes (ザ・ネプチューンズ)、Timbaland(ティンバランド)、Swizz Beatz(スウィズ・ビーツ)らが台頭し、いわゆるブーンバップのビートとフューチャリスティックなサウンドが交錯する時代へ移行。その過渡期にリリースされたアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』は、前者のプロダクションをメインに構成されているが、USメインストリームのトラックと見劣りせぬプロダクションを擁し、8人の個性の塊を援護射撃するに十分な水準を持ち合わせていた。こうした史実からもニトロの登場は革新的であり、日本語ラップを認めない界隈の凝り固まった思考を更新する結果ももたらしたのだ。
全メンバーがソロでメジャーの舞台へ
「グループ」という集団において、メンバーがソロ活動を始める・求められるのは自然の成り行きだ。一般的に白羽の矢が立てられる対象は、実力大前提のもと人気も伴うメンバーであるが、ニトロのソロ活動に至ってはその条件は度外視。結論から言ってしまうと、ニトロのメンバー8人は皆メジャーレーベルと契約を結んでいる。大所帯のグループ、かつすべてのメンバーがメジャー契約を手にするのは海外ですらたやすいことではなく、この事実だけでもニトロの存在がどれだけセンセーショナルだったかを物語っている。もちろん、「大ヒットを記録した」という瞬間的風速による影響も大きいが、メジャーデビュー以前からのメンバー各々によるソロ活動が結実した形でもある。
もともとソロで活動する気心の知れた者同士が集うNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDというグループにとって、個としての発信は不可避である。「Def Jam Japan(デフジャム ジャパン)」からリリースされたリパッケージ・アルバムのインパクトは、瞬く間にメジャーレーベルへも行き届き、この時点ですでに「Def Jam Japan」と契約を締結していたDABO(ダボ)とS-WORD(スウォード)は、アルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』の販売から約3カ月後に『拍手喝采』、翌年3月には『KROSS OVA’<斬>』のシングルをリリースする。
メジャーでの先陣を切ったのは、「Sony(ソニー)」と契約したSUIKEN(スイケン)のファーストアルバム『SUIKEN PRESENTS SIXTEEN STARS』(2001年)だ。同年にDABO『PLATINUM TONGUE』が続き、先鋒と次鋒を担った兎年代表の2人は「メジャーに行ってもダサくなるどころか、めっちゃ輝いている」を地で行く稀有な事例を作り上げた。また、ニトロのファーストアルバムが90年代のヒップホップ黄金期を想起させるサウンドプロダクションであったのに対し、ソロ活動では各々が好むビートを選び、過渡期を経た上でのサウンドを展開していく。
母体のサウンドとは異なり、前段で述べたようなスウィズ・ビーツライクなものからネプチューンズ的なもの、またヒップホップの枠にとらわれず、前衛的なサウンドにも果敢に挑む(MACKA-CHINのようにソロになった途端、ハイブリッドな4つ打ちに挑んでみたりと表現の幅は実にさまざま)。さらにアルバムを固めるプロデューサー勢のクレジットに目を落とせば、ニトロが信頼関係を築き上げた面々でのみ構成されていることも一目瞭然。結果的にこうしたソロ活動の実績がニトロ本体への信頼もしっかり担保してきたのだ。参考までに各メンバーのメジャー契約作品(アルバム)を契約年順に列挙する。
SUIKEN『SUIKEN PRESENTS SIXTEEN STARS』(2001年/SONY)
DABO『PLATINUM TONGUE』(2001年/Def Jam Japan)
S-WORD『ONE PIECE』(2002年/Def Jam Japan)
DELI『DELTA EXPRESS LIKE ILLUSION』(2002年/cutting edge)
MACKA-CHIN『CHIN NEAR HERE』(2002年/Victor)
XBS『EXCLUSIVE BENEFIT STORY』(2003年/cutting edge)
GORE-TEX『RELOAD』(2004年/Columbia)
BIG-Z(BIGZAM)『WESTSIDE FAR EASTSIDE』(2005年/573Records)
「メジャーと契約したら超いいスタジオで毎日高級な弁当を頼んで食べ放題のやり放題。え、もう最高じゃん! みたいな生活を送れてたよね。僕らからしたら、その環境からセルアウトなんて概念に行き着く感じもまったくしなかったし、逆にこだわりまくれる制作/録音環境にたどり着けたくらい。ファッションやアートと違って、音楽っていう目に見えないものを作っている以上、もう抜かりないというか、(力を)抜けないよね。だからこそグループもソロに関しても、ものすごい時間をかけて制作してきたと思う」(MACKA-CHIN)
セルアウトが容赦なく敵意を向けられる現象として存在した2000年代初頭。その大半は「インディでは旋風を巻き起こしていたのに、メジャーで契約した途端、そよ風になった」という、楽曲の質感はもちろん、アティチュード全般に対して指摘された。また、このセルアウトという概念においても、「クリエイティブコントロールができず不本意な作品を作らざるを得ない」「とにかくお金が欲しいからどんな曲でもやります」「というか、もともとポップでキャッチー傾向だった」など複数のディスとなるジャンルが存在したが、ニトロの場合は「クリエイティブコントロールできなかったら契約しない」「とにかくお金は欲しいけど自分が納得する曲じゃないとイヤ」「もともとポップでキャッチーじゃない」という事実でセルアウトの存在を抹消した。実際にメジャー契約後の動向に違和感を覚える関係者、引いてはリスナーもいなかったように思うが、これは契約書云々問題以前に、信頼関係を構築できるメジャーレーベル・スタッフと仕事ができたニトロ面々の審美眼、そして時代背景や少なからずの運も大きく左右したはずだ。
解き放たれる8つの個の表現
自身のソロ活動に加え、ニトロメンバーそれぞれの名に強度を持たせた要因に、フィーチャリング作品の存在も忘れてはならない。過去作品を例に挙げると、GORE-TEX(ゴアテックス)は1996年にリリースされたMURO『三者凡退』、翌年の『XXX-LARGE Pt.2』にDEV-LARGE(デヴラージ)とともに参加。同年にはSHAKKAZOMBIE『共に行こう -version pure-』にSUIKEN/DABO/MACKA-CHINの(のちの)ニトロメンバーで客演を果たすなど、己が育ててきたピープルツリーに偽りのないフィーチャリングワークで信頼を得てきた。
一方でSUIKENは、wyolica『悲しいわがまま』やbird『REALIZE』(共に1999年)といったジャパニーズR&B作品にフィーチャリングで参加し、海外では当たり前となっていた「シンガー feat. ラッパー」の図式を粋にこなす。後発ではKAANAの『Dear Sweet Love(夜明けと落日に)』(2001年)のリミックスにDABOとGORE-TEX(それぞれバージョン違いで参加)、椎名純平『無情』(2001年)のDJ WATARAIリミックスでS-WORDが、安室奈美恵がボーカルを担うプロジェクト SUITE CHIC(スイート・シーク)の『What’s on your mind』にXBS(エックスビーエス)、同『SING MY LIFE』にDABO(共に2003年)が参加するなど、MISIA(ミーシャ)や宇多田ヒカルで空前絶後の盛り上がりを見せつつも、まだ微妙な距離感にあった国内ヒップホップとR&Bの架け橋を作ることに大きく貢献。こうした記憶に残るフィーチャリング作品によって、ソロ活動の基盤もしっかりと固めていく。
そして、さらなる追い風を作り上げたのが、グループ/ソロとは異なる別プロジェクトの始動だ。例えば、グループ内の派生ユニットではMACKA-CHINとDABOの“MABO”、SUIKENとS-WORDによる“SUIKEN×S-WORD”がそれぞれアルバム/リミックス・アルバムをリリース(のちの2014年にはこの4人で“東京弐拾伍時”を結成する)。DELI(デリ)に至っては、盟友プロデューサー・YAKKO(ヤッコ)との“AQUARIUS(アクエリアス)”名義でアルバム『オボレタ街』と、MIKRIS(ミクリス)をフックアップする形となった『チカチカ(秘)大作戦』(ともに2003年)のコンピレーション・アルバムのリリースなど、2000年代前半におけるメンバーの八面六臂の活躍はめまぐるしいものだった。
舞台をメジャーに移し、メンバーのソロ作品が次々と世に放たれ、残すはGORE-TEXとBIGZAM(ビグザム)のみとなった2003年。この年はNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDとして『新星堂』から限定3万枚のシングル『NITRICH/SPARK DA L』の発売、ニトロの面々が敬愛する宇田川町の先輩、MUROのシングル『CHAIN REACTION』がリリースされた記録にも記憶にも残る1年となった。同作にはニトロからはDELI/BIGZAM/GORE-TEXが参加し(ほかにUZI/Q/TOKONA-Xをフィーチャリング)、珠玉極まりないマイクリレーが巷を席巻。向かうところ敵なし状態だった頃、XBSはグラフィティライターのEIGHTとアパレルブランド〈nitrow(ナイトロウ)〉の立ち上げに奔走していた ── 。
VOL.3では、XBSがブランド設立からクローズするまでを赤裸々に語ったインタビューを公開する。


















