なぜ Fukase はいまヒップホップに飛び込むのか──ポップスターの15年目に起きた転換 | Interviews
そのすべては彼がずっと愛してきたヒップホップへの、極めて真面目なラブレターでもある
なぜ Fukase はいまヒップホップに飛び込むのか──ポップスターの15年目に起きた転換 | Interviews
そのすべては彼がずっと愛してきたヒップホップへの、極めて真面目なラブレターでもある
日本の男女混合4人組バンド SEKAI NO OWARIのメンバー Fukaseは、J-POPという枠組みの中で、浮遊するように既存の文法をずらしながら、それでも確実に大衆の心を掴んできた存在だ。メジャーデビューから15年。彼はバンドのフロントマンとして、物語のある音楽を軸に“SEKAI NO OWARI”という一つの宇宙を構築し、その世界観を普遍的なポップスとして届けてきた。家族や地元の“ファミリア”まで含めた幅広い層に届く作品を追求する姿は、まさにFukaseらしい。
ただ「SEKAI NO OWARIを始める前、本当はヒップホップをやるかJ-POPをやるかで悩んでいた」とFukaseは振り返る。当時のメンバーはそこまでヒップホップにハマっていたわけではなく、何より家族みんなが聴ける音楽を作りたいという思いがあった。その中で、リーダーのNakajinから「やりたい音楽より、やれる音楽をやろう」という提案を受けた。また、同級生でメンバーの藤崎彩織の『Instagram(インスタグラム)』を覗くと、17歳の深瀬少年が「俺、ラップがやりたいんだ」と語り、彼女が「ラップよりも、歌の方が上手いよ(以下割愛)」と返したエピソードが記されている。そうした背景が重なり、FukaseはJ-POPの道を選んだ。
それから15年
SEKAI NO OWARIとしての確固たるポップ性を築き上げた今、Fukaseはかつてティーンエイジャーの頃に一度閉じた扉──ヒップホップへと再び向き合い、ソロプロジェクトとしてラッパー活動を始動させた。「切り替えは得意だけど、モチベーションを維持するのは得意じゃない」と自己分析する彼にとって、原点でもあるヒップホップに本気で挑戦することは、SEKAI NO OWARIを長く続けるためにも、自分の原点ともいえるヒップホップに本気で向き合う必要があると感じたという。
新アルバム『Circusm』というタイトルは、“サーカズム(皮肉)”と“サーカス”を掛け合わせた造語だ。SNSやニュースのコメント欄にあふれるノイズ、陰謀論、知識のない批判──そうした“ぐちゃぐちゃした世界”を、皮肉という形でビートに乗せていく。「皮肉って、怒っているわけじゃないんです」とFukaseは言う。「世の中にある“お蔵入りの悪口”みたいなものを、できるだけユーモラスに、エンターテイメントとして消化したかった」。
その根底には、ラップというフォーマットへの強い敬意がある。SEKAI NO OWARIの楽曲でもラップ調の表現はあったが、「ヒップホップをやっている」とは一度も名乗らなかった。「それって、ある意味逃げだった気がして。こんなに好きなら、ちゃんと正面から“俺はヒップホップをやる”と言うべきなんじゃないかと思った」と話す。
Fukaseは『TikTok』でライミングを解説している人を見つけて直接コンタクトを取るなど、ラップの議論や研究を重ね、毎日のようにボイスメモで自分のラップを録音しては「こんなの全然ラップじゃない」と消していく日々を半年以上続けたという。その中で最初に“掴めた”と感じたのが、『Bad Entertainment』という曲だった。「一日で書けて、録った瞬間に“これが自分のライミングなんだ”って分かった」と語るように、そこからようやく、韻というルールの中で自分の本音をファニーに表現する感覚が開いた。
ヒップホップに飛び込むことは、同時にリスクも伴う。日本ではいまだに「ドラッグ」「暴力」「前科」といったイメージばかりが過剰にフィーチャーされ、チャートの最前線に立ちづらいジャンルでもある。だからこそ、ポップのど真ん中からやって来たFukaseの存在は、シーンにとっても意味を持つ。
「売人でもないし、刑務所上がりでもない自分が、どこまで攻撃的なことを書けるかでヒップホップに貢献したかった」と彼は言う。同時に、サンプリング文化への“知識のない批判”に対しても強い違和感を示す。「今は誰でも調べられる時代なのに、“これパクリじゃん”で止まってしまうのはカルチャーとしてもったいない」と。
一方で、SEKAI NO OWARIのファンに向けた線引きも明確だ。「SEKAI NO OWARIという母体を変えたくなかった」。過激な表現や攻めたアートワークによって、バンド全体に“飛び火”させないためにも、あくまでソロ名義で行うことを選んだ。だからこそ、ソロで世界中のトラックメーカーとコラボレーションしながらも、「一番最高のピアニストはSaoriで、一番最高のアレンジャーはNakajin」と語り、最終的には再びメンバーと作品を作っているのも興味深い。
このソロプロジェクトが、一過性の実験かどうかを尋ねると、彼の答えはシンプルだ。
「死ぬまでやっていこうかなと思っています」。
『Circusm』に込めたのは、まだ“序章”だという感覚。15年間で積み上げてきたエネルギーを一度ゼロにし、ラップというルールの中で再構築する作業。ポップスターとしてのFukaseをよく知る人ほど、今作で見える“棘”や“暴力性”に驚くかもしれない。だが、そのすべては彼がずっと愛してきたヒップホップへの、極めて真面目なラブレターでもある。
ままでお世話になった、ヒップホップへの僕なりの恩返し
Hypebeast:なぜ、このタイミングでヒップホップという表現方法に挑戦したのでしょうか。
Fukase:もともとヒップホップは本当に好きで、SEKAI NO OWARIを始める前に「ラップをやるかJ-POPをやるか」で本気で悩んでいた時期があったんです。ただ、メンバーがそこまでヒップホップ好きではなかったし、子供からお年寄りまで聴ける音楽を作りたいと思っていたので、J-POPを選びました。そこからずっと、J-POPを胸を張ってやってきたからこそ、今度は自分の“本当に好きなもの”にフォーカスすることが、自分にもSEKAI NO OWARIにもいい影響になると思ったのがきっかけですね。
ポップスターとして成功しているのに、未知の領域に飛び込む怖さはなかった?
怖さより、“今やるべきだ”という感覚のほうが強かったですね。僕は好きなことを一回ハマるとガッと行くタイプなんですけど、逆にモチベーションが一定だと停滞しちゃうんです。だったら15年続けてきたポップを一度切り離して、自分の好きなものに集中するほうが健全だなと思った。それが結果的にバンドにも返っていくはず。
Fukaseさんにとってヒップホップは“自由”でしたか、それとも“必然”でしたか?
僕の中では“暴力性を許容してくれる場所”という意味での自由ですね。もちろん実際の暴力を肯定したいわけではないし、助長するつもりもない。ただ、ヒップホップやメタル、パンクロックには、負の感情を音楽の中で消化してきた歴史があります。SEKAI NO OWARIでは表現してこなかった言い回しやテーマがたくさんあって、それをこの音の中でなら自由に扱える。そういう意味では、自由な場所だと思います。
なぜバンド名義ではなく、ソロでやる必要があったのでしょうか。
これは僕のためでもあるし、メンバーやずっと応援してくれているSEKAI NO OWARIのファンのためでもあって。だから、SEKAI NO OWARIという母体を変えることはしたくなかったんです。ラップだと表現も過激になるし、アートワークも攻めたい。それでバンドに変化を与えるのは違うなと。だから、“籍だけ抜いておく”じゃないですけど(笑)、ソロでやるのが一番いいと思いました。
アルバム『Circusm』の全8曲はどのようなコンセプトで並べたのでしょう?
“皮肉”と“ユーモア”のバランスですね。アルバムタイトルの由来でもある“サーカズム(皮肉)xサーカス”の感覚を通して、世の中のぐちゃぐちゃしたものをどう料理できるかを軸に並べていきました。僕自身の世界観と、ヒップホップのダークユーモアがちょうど交わる場所を探していった感じです。
ラップの技法はどうやって身につけたのでしょう?
一番時間をかけたのがそこです。TikTokでライミングを教えている人を見つけて連絡して、ラップ談義みたいなことをしたり、毎日ボイスメモに録っては「こんなのラップじゃねえ」と消す作業を半年くらい続けました。韻というルールがあるからこそ、皮肉もファニーに言えるし、ただの“日記”にならない。その感覚を掴めた曲が『Bad Entertainment』でした。
ポップとヒップホップで“本音の出し方”はどう違いました?
ヒップホップは本音を“そのまま言う”というより、“ルールの中で解放する”感じですね。韻を踏むことで、負の感情もファニーになる。ただ殴るだけじゃなくて、殴る“フォーム”を考えることで美しさが生まれる。そこがポップと全然違うところ。
今回、Eminemを手がけたジェフ・バス(Jeff Bass)やその息子のジェイク・バス(Jake Bass)など世界的プロデューサーと制作する中で、自分が変わった瞬間はありましたか?
最初は違和感でした(笑)。自分がこれまで触れてきた日本語のトラックとは感覚が違いすぎて、「本当にこれで合っているのか?」と戸惑ったんです。でも、酒を飲んで聴いたら一気に腑に落ちたんですよ。頭の中の先入観みたいなものが全部なくなって、体が“これだ”って反応した。そこから一気に自分のものとして歌詞が書けるようになった感覚があります。
ヒップホップに飛び込むことへの怖さやプレッシャーは?
怖さとかプレッシャーは、正直あまりないです。ただ、「FukaseがラップをやることでSEKAI NO OWARIが変わっちゃうんじゃないか」と心配してくれる人は絶対いるだろうなとは思っていました。それは愛情の表れでもあるけど、「今まで俺の何を見てきたんだ」とも思うというか(笑)。そんな簡単に変わらないし、僕の中で母体はあくまでSEKAI NO OWARIで、そこは揺らがないです。
ポップスターのイメージを壊してでも表現したかったものは?
“棘”ですね。ポップの中に隠していたものを、ヒップホップではちゃんと表に出したかった。
日本におけるヒップホップのイメージについては、どう感じていますか。
日本だとヒップホップが“危ないもの”として語られすぎている印象がありますよね。もちろんそういう側面もあるけど、それだけじゃない。僕は売人でもないし、前科があるわけでもない。でも、ちゃんと棘を持った言葉を、ライミングというルールの中で戦わせることはできる。その姿を見せることで、「こういうヒップホップもあるんだ」と思ってもらえたら嬉しいですね。
日本のジャンル間の壁をどう見ています?
日本はビジュアルやイメージでジャンルが固定されやすい国だと思います。でも僕がヒップホップをやることで、「こういう入り方もあるんだ」と感じてもらえたら嬉しい。そういう意味でも、ヒップホップに貢献したい。
ちなみに、刺激を受けたアーティストはいらっしゃいます?
OZROSAURUSとEminemです。10代の頃からずっと聴いていて、今でも背骨になっています。
今回のソロプロジェクトは、一過性のものですか? それとも今後も続けていくのでしょうか。
もう、死ぬまでやっていこうかなと思っています。『Bad Entertainment』ができて、自分なりのライミングが分かった瞬間から、「まだまだできることがたくさんある」と感じたので。今回のアルバムは、あくまで“序章”ですね。
最後に、ヒップホップにはビーフカルチャーもありますけど、そこについてもお聞かせいただいても?
僕は“安いビーフ”には興味がないです(笑)。プロレスみたいに盛り上げる文化だと言われても、日本では感情ごと受け止めてしまう人が多いから向いてないと思う。ただ、自分と同じくらい背負ってるものがある相手なら、必要があれば向き合うことはあるかもしれませんね(ニヤ)。
Fukase
SEKAI NO OWARIとして2011年にメジャーデビュー。デビュー15周年という節目に、新たなソロプロジェクトとしてヒップホップアーティスト名義を始動。既存の枠にとらわれない感性と創造力で、ジャンルの境界を軽やかに越えていくアーティストである。
『Circusm』
Fukaseの新作アルバム『Circusm』は、“サーカズム(皮肉)xサーカス”を掛け合わせた造語を冠した作品。個人の記憶、現代社会、メディアが持つ二面性など、複雑に交差する感情や矛盾をテーマに、ユーモアと皮肉を織り交ぜながら表現している。12月26日、デジタルリリース予定。
























