『藤本タツキ 17-26』── クリエイターの若き才能を封じ込めたアニメ映画アンソロジー
『チェンソーマン』でブレイクする前に生み出されたオリジナル短編8本を一挙収録
世界的な興行ヒットとなった『チェンソーマン レゼ篇』を受けて、原作者である藤本タツキの新作を求める声は一層高まっている。新作アニメアンソロジー『17-26』は、その期待に真っ向から応える存在だろう。奇想に満ちた読み切り8本を一挙に映像化した本作は、17歳から26歳のあいだに書かれた物語を収め、藤本の天才性をたどる決定版の羅針盤のような作品だ。初期のスケッチである“庭には二羽ニワトリがいた。”から、“予言のナユタ”に見られるダークなテーマまで、全編を通じて彼の進化の速さをまざまざと見せつけている。ここからは各短編を徹底レビューするのでネタバレ注意だ。
警告:ここから先はネタバレを含みます。
庭には二羽ニワトリがいた。
上映時間20分弱のショートアニメ“庭には二羽ニワトリがいた。”は、奇天烈で不穏、そして思考を揺さぶるアイデアが一気呵成に押し寄せる、まさにローラーコースター。原作は、『少年ジャンプ+』で2011年に掲載された藤本による35ページのデビュー読切だ。原稿の提出自体は17歳の時だが、世に出たのは19歳になってから。その頃からすでに、藤本が好むモチーフは明確だった。
舞台は、宇宙人が地球を支配した架空の2019年。物語は校庭でニワトリに擬態して生き延びるユウトとアミを追う。序盤は心優しい宇宙人の高校生 陽平の“ごく普通の一日”に寄り添うが、やがて不穏にほつれていく。
フィクションの中で、宇宙人はしばしば恐るべき捕食者として描かれる。だが藤本は、そのステレオタイプを日常性と不可避の軋轢で巧みに再解釈する。作品全体には、2018年に湯浅政明が手がけた鮮烈で示唆に富むダークなシリーズ『DEVILMAN crybaby』を想起させるメッセージと余波が漂い、とりわけ、「欲望」や「周囲の常識」によって動機がいかに容易に歪むかを掘り下げている。重要な場面では、同級生を虐殺した宇宙人にアミが「なぜ人間を殺すの?」と問いただす。困惑した宇宙人は、人間が豚や牛を屠るのと同じだと比喩する。アミは「それなら、私たちがあなたたちを食べてもいいってこと?」と切り返し、宇宙人はただ「わからない」とだけ答える。
制作は、ゲームやライトノベル原作のOVAや共同制作で知られる「スタジオゼクシズ」。脚本・監督は、『チェンソーマン』シーズン1・エピソード10の原画を務めた長屋誠志郎。感情の蓄積と暴力の迸りのバランス感が“庭には二羽ニワトリがいた。”全編を貫いている。
佐々木くんが銃弾止めた
前作の強烈な余韻に続く“佐々木くんが銃弾止めた”は開始当初、軽やかで、どこか奇妙なコメディとして幕を開ける──が、やがて不穏な脅威が姿を見せ、トーンは居心地の悪い領域へと切り替わる。物語の中心は、担任の川口先生に恋心を抱き、彼女を“女神”として崇める生徒 佐々木。題名どおり、常識だけでなく人間の通常の能力さえも超えてしまう“ありえないこと”を信じるというアイデアを探る。
原作の短編の掲載は2013年の『少年ジャンプ+』で、「第5回クラウン新人漫画賞」で特別審査員賞を受賞。当時20歳だった藤本の直感的で生き生きとした語り口に審査員は拍手を送り、「天才という言葉が浮かんだ」と評する声もあった。監督は「ラパントラック」の木村延景。比較的リアルなキャラクターデザインと、独特の色調が施された背景を組み合わせ、特異でシュールなトーンを演出している。ドラマティックな芝居、間の取り方、そしてBGMとして一貫して流れるラヴェルの“Boléro”が、そのムードをさらに押し上げる。
恋は盲目
同じく「ラパントラック」製作の“恋は盲目”は、生徒会で一緒のユリに告白する決意を固めた高校生 伊吹を中心に展開する、不条理なラブコメ。この13分のショート作品は、「これは最後のチャンス──高校生活最終日だ」という思いに取り憑かれたティーンのドラマティックな暴走を通じて、笑いを攫う。追い詰められた伊吹は、荒天の中で迫る脅威から宇宙規模のトラブルまで、あらゆる障害を締め出し、ただひとつの目的だけに目が眩む。
原作マンガは『ジャンプスクエア』で2013年に発表され、「第9回クラウン新人漫画賞」で佳作を受賞。これは、藤本の“佐々木くんが銃弾止めた”での成功から数カ月後のことだ。監督はベテランのアニメーター 武内宣之。彼は「スタジオジブリ」の『崖の上のポニョ』や新海誠の『天気の子』といった映画にも携わってきた人物で、本作でも突飛な前提にぴたりと呼応するダイナミックな映像で、原作の推進力を余すことなく引き出している。
シカク
“シカク”は日本語で“暗殺者”とも訳せるが、本作では女性主人公の名前でもある。幼少期からサイコパスな傾向を示し、共感性の欠如と突飛な行動で疎まれてきた彼女は、やがてコードネーム シカクのもとでヒットマンとなる。物語が本格的に動き出すのは、シカクが「殺してほしい」というただひとつの依頼を持つ依頼人 ユゲルの仕事を請け負ってから。なんとユゲルは殺せないのだ。彼は3,500年も生き、退屈のあまり“本当に”暗殺されることを望んでいる存在なのだ。
当初はバイオレントなスリラーを予感させるが、“シカク”はやがて歪んだラブストーリーへと変貌する。原作は2014年、“恋は盲目”と“佐々木くんが銃弾止めた”の翌年に発表され、語り手としての藤本の成熟ぶりを示す1本。中心に愛はあるが、テーマはよりダークかつ複雑で、『チェンソーマン』の気配も色濃い──シカクのデザインは、『チェンソーマン』に登場するのマキマの前身のようにも感じられる。
51ページのマンガをもとにした18分のアニメは、原作に比べて人物の掘り下げに限界があるのは否めないが、見せ方は鮮烈だ。監督は安藤尚也。以前は『Paradox Live The Animation』に携わり、制作は新進の「STUDIO GRAPH77」。これまでの唯一のクレジットは、『チェンソーマン レゼ篇』の中割り作業のみだったというが、本作では流血のアクションや張り詰めたモノローグから、ときに官能的で軽やかな瞬間までを印象的に描き切る。結末は意外なほど穏やかだが、“シカク”は、ロマンスと暴力、孤独を混ぜ合わせる藤本流の探求をいち早く示した1作として、強い印象を残す。
人魚ラプソディ
藤本の2部構成アンソロジーの後編に収められた“人魚ラプソディ”は、他の作品とは一線を画すトーン──ファンタジーと温かなロマンスのミックスで聴かせる。物語の中心は、海底に沈んだグランドピアノを弾くために海へ潜り続ける少年 トシヒデ。彼を見つめる人魚の少女 シジュは、やがて溺れかけた彼を救い、そのお礼にトシヒデはシジュにピアノを教えると約束する。そこから、真っ直ぐな絆が芽生えていく。
原作マンガは2014年発表。『チェンソーマン』のようなダーク作や、青春譚の『ルックバック』に親しんだ読者には、やや異色に映るかもしれない。とはいえ、ロマンスは彼の物語に通底するテーマ。儚く芽吹くこともあれば、ほろ苦く歪むこともある。“人魚ラプソディ”は前者に寄り、よりオーソドックスな童話調のトーンで、藤本の多才さを際立たせる。
アニメ化を手がけたのは、比較的若いデジタルアニメーションスタジオ「100Studio」。これまでのクレジットは、たとえば『BLEACH 千年血戦篇』と『Dr.STONE NEW WORLD』での第2原画など。監督は、『ブルーロック』の第1シーズンを手がけたことで知られる渡邉徹明。映像は原作に忠実で控えめなアプローチだが、異なる世界に生きる若い恋が避けられない帰結へ向かう様を核に据え、恐れや迷いがあっても心に従うべきだというメッセージをそっと託す。
目が覚めたら女の子になっていた病
藤本タツキと聞けば“ぶっ飛んでいる”が頭をよぎる──そんな評価を体現するのが、“目が覚めたら女の子になっていた病”だ。若い恋と奇天烈な設定を絡める彼の嗜好を、見事に示している。舞台は2000年。高校生のトシヒデが、ある朝目覚めると“本当に”女の子になってしまったところから始まる。女性の身体を持つという不可逆の現実に戸惑うトシヒデは、早々に男子同級生からセクハラの標的に──そこへ彼の恋人の兄 アキラが救いの手を差し伸べる。
コメディ一辺倒に見えた物語は、すぐに現実的で身に覚えのある脅威を差し込んでくる。主人公の少年を、同世代の少女たちが日常的に置かれている“自分の身を守らざるを得ない”立場に置くだけでなく、ジェンダー規範への適応をめぐる葛藤も描く。美術的には、おそらく本企画で最もビビッド。監督 寺澤和晃と「スタジオカフカ」が、日常の風景に歪んだシュールなタッチを与える。実験的な配色やスタイリッシュな静止画、たまごっちや折りたたみ携帯といったレトロな記号が、懐かしさと作風の変遷を豊かに彩る。
予言のナユタ
続く“予言のナユタ”では、「100Studio」と監督 渡邉徹明が再びダークなディストピアへ。物語は、過酷な世界で生き延びようともがく兄のケンジと妹のナユタを追う。角を持って生まれたナユタは、「角のある少女が世界の終わりをもたらす」という予言を信じる人々から恐れと蔑みの的に。彼女の存在は迷信と無垢のあいだに張り詰める緊張そのものであり、社会不安の犠牲者であると同時に、その象徴としても描かれる。
原作は2015年、『ジャンプスクエア』に掲載。“予言のナユタ”は、のちに『チェンソーマン』で掘り下げられるテーマの原型ともいえる。藤本は、ただ静かに平穏に暮らしたいだけなのに社会から疎外される人々の窮状をこの物語を通じて照らし出し、荒涼とした舞台と重い感情は、社会批評とファンタジーを融合させる腕前の高まりを際立たせる。アニメ版もこの二面性を強調し、優しさが芽生える瞬間と差し迫る恐怖の均衡を取りながら、孤立や偏見、そして敵意に満ちた世界で平和を願うか細い希望という、藤本の初期の探求も示してみせる。
妹の姉
アンソロジー『17–26』の掉尾を飾る“妹の姉”は、『ルックバック』の初期稿のようにも感じられる、2人の新進アーティストのあいだに横たわる、家族の絆や友情とライバル意識の繊細な均衡を描く叙情篇だ。物語は、同じ美術学校に進学した光子と杏子を追い、特に姉の光子が妹の才能に嫉妬してしまうことで、2人の距離がすぐさま広がっていく様を見せる。
映画の冒頭が、その対立のトーンを定める。学校の入口に杏子の受賞作が掲示され、光子は辱めを受けるのだ。本人はモデルを務めていないのに作品には彼女が全裸で描かれていた──それが憤りの火種となる。この瞬間が転機となり光子は復讐を胸に杏子に詰め寄るが、やがて2人の関係を見つめ直す内省的な旅へと歩み出す。
監督は本間修、制作は「P.A.WORKS」。いずれも実力派ながら、本企画での単独主導は比較的新しい。アニメ化はこの青春譚の読切を見事に息づかせ、アニメーションは滑らか。静止画にも細部の熱量がみなぎり、美大を描いた『ブルーピリオド』を想起させる瞬間もある。何より、“妹の姉”は感情と葛藤を丹念に掘り下げ、冒頭とラストが呼応するフルサークルな構成で物語を結ぶ──残るのは苦味ではなく、受容と成長だ。
『藤本タツキ 17-26』は、現在『Amazon Prime Video』で配信中。























