ファッション界の巨匠ジャーナリスト アンドレ・レオン・タリーが死去
享年73歳
世界のファッション界において大きな影響力を誇ったアフリカ系アメリカ人ジャーナリスト André Leon Talley(アンドレ・レオン・タリー)が1月18日(現地時間)、ニューヨーク州ホワイトプレインズの病院で逝去したことが明らかになった。享年73歳。
1948年にワシントンD.C.で生まれたTalleyは、『ジム・クロウ法(*1876〜1964年にかけて存在した人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法)』の影響下にある時代にアメリカ南部で幼少期を過ごした。彼は子供の頃に、地元の図書館で『Vogue(ヴォーグ)』誌を発見したことがきっかけで、ファッションの世界に憧れを抱くようになったという。Talleyのファッション界でのキャリアは、1974年に『メトロポリタン美術館』で元『VOGUE』編集長のDiana Vreeland(ダイアナ・ヴリーランド)のもとでインターンをしたことから始まった。Talleyの仕事ぶりに感心したVreelandは、彼をAndy Warhol(アンディ・ウォーホル)のFactoy(ファクトリー)や『Interview(インタビュー)』誌の関係者に紹介し、そこで仕事をすることに。さらに彼は『W』や『New York Times(ニューヨーク・タイムズ)』などでも執筆を始める。その後米国版『Vogue』で頭角を現し、同誌のニュース・ディレクターを経たのち、1988年にアフリカ系アメリカ人として初めてクリエイティブ・ディレクターに就任。同職を1995年まで務めたTalleyは、一度は退職するものの、3年後にエディター・アット・ラージとして復帰。その後同誌編集長であるAnna Wintour(アナ・ウィンター)の右腕として、2013年まで『Vogue』のクリエイティビティに貢献した。また、2008年にはMichelle Obama(ミシェル・オバマ)のファッション・アドバイザーを務めている。
Talleyは60年にわたるキャリアの中で、一見華やかに見えながらも根強く人種差別が残るファッション界において、一貫して多様性を擁護し続けてきた。黒人のデザイナーやモデルについても世間の偏見が大きかった時代から支持してきたことでも知られており、彼の視点は現在のファッションジャーナリズムに大きな影響を与えている。
『HYPEBEAST』編集部一同、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。