Sole-Searching:adidas Originals Stan Smith 特集
数あるスニーカーの中でもベストセラーと形容されるにふさわしい不朽の名作を深掘り
毎月1足、歴代の名作スニーカーの歴史を紐解く企画 “Sole-Searching”の第6回目では、“世界で最も売れたスニーカー”としてギネス世界記録に認定されている〈adidas Originals(アディダス オリジナルス)〉が誇る永遠の定番 Stan Smith(スタンスミス)を特集する。
Stan Smithが生まれたのは遡ること56年前の1965年。しかし、正確にことを伝えると、誕生時はHailletというモデル名であり、Stan Smithと呼ばれるようになったのは1978年からのことである。というのも、もとのHailletは〈adidas〉と契約していたフランス人テニス選手 Robert Haillet(ロバート・ハイレット)のシグネチャーモデルだったのだが、彼の引退後にアメリカ人テニス選手 Stan Smithが同モデルを着用し活躍(*ここから先、モデル名をStan Smith、人物名をSSとする)。〈adidas〉はこれに目を付け、アメリカでのプロモーションを意識してモデル名をHailletから連名のStan Smith Hailletへと変更し、シュータンにSSのイラストとHailletのサインを配して販売したところ大ヒットを記録(1973~78年)。そして、SSの人気が絶頂を迎えた1978年にモデル名を現在のStan Smithへと改名したのだ。ちなみに、SSは4大大会優勝を含む通算100勝を達成したアメリカテニス史を代表するスター選手で、“International Tennis Hall of Fame(国際テニス殿堂)”入りを果たしている。
今でこそレザーアッパーのスニーカーは珍しくないが、当時はキャンパス素材が一般的だったこともあって新発想の1足としてブレイク。シグネチャーカラーのホワイトは、SSが活躍した1970〜80年代の大会が原則としてホワイトのドレスコードを設けていたからであり、ディテールのグリーンはテニスコートの芝生から着想。ヒールはアキレス腱を保護する目的で高めに設計され、シュータンはズレを防ぐため大きめとなっており、〈adidas〉のスニーカーは基本的にアッパーサイドにスリーストライプスがあしらわれているが、代わりに3列のパーフォレーション(通気孔)が設けられているのが最大の特徴だろう。
このクラシックかつ飽きのこないミニマルなデザインから、テニスシューズとして産声をあげるも、親子3世代老若男女誰でも履けるライフスタイル・スニーカーとして愛され、2005年までに4,000万足を販売(*諸説あり)。その1つの逸話として、SSの現役時代は対戦相手がStan Smithを履いていることがよくあったという。また、元〈CELINE(セリーヌ)〉のPhoebe Philo(フィービー・ファイロ)をはじめ、Stella McCartney(ステラ・マッカートニー)、Marc Jacobs(マーク・ジェイコブス)、Alexandre Mattiussi(アレキサンドル・マテュッシ)らトップデザイナーの間でもファンが多いことで知られ、あの山本耀司もハートを射抜かれた1人。ストリートシーンでの支持率となるとSuperstarやCampusには劣るが、〈HUMAN MADE®️(ヒューマン メイド)〉、〈PALACE SKATEBOARDS(パレス スケートボード)〉、〈Fucking Awesome(ファッキング オウサム)〉、〈NEIGHBORHOOD(ネイバーフッド)〉らとのコラボでベースモデルに採用されていたのは記憶に新しい。
しかし、〈adidas〉は2011年に突如としてStan Smithの生産中止を発表。現在まで具体的な理由は明らかにされていないが、2014年に再販売され社会現象化する間、Stan Smithロスに陥った人々によって2次流通市場や古着屋で飛ぶように売れたと聞く。そして、2020年にも大きな転換期を迎え、頭の天辺から足の爪先まで全てがリサイクル素材に置き換えられた完全サステナブル仕様の1足へと生まれ変わっている(詳細はこちら)。
誕生から約半世紀近く経つが、流行に左右されない普遍的なデザイン、スーツやデニムなどスタイルを選ばない汎用性の高さ、真っ白でも履き込んで汚れてもクールな佇まい、100以上のコラボモデルの存在などから、長きにわたってスニーカーシーンを牽引してきたStan Smith。近年はハイテクモデルの人気も落ち着き、ローテクモデルの再評価の流れがあるだけに勢いは増していくに違いない。今後も〈adidas〉のブランドフィロソフィーが詰め込まれた不朽の名作は、われわれのステートメントピースとして存在し続けていくだろう。