Interviews:1994年生まれの新鋭アーティスト・中西伶が語るこれまでと今後

ニューヨークを拠点とする現代アーティスト・山口歴のアシスタントを経て東京に戻ってきた新星に独占インタビュー

アート 
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『HYPEBEAST』でも度々その動向をご紹介してきたニューヨークを拠点に活動する日本人現代アーティスト、山口歴(やまぐち めぐる)。太平洋を越えたアメリカ大陸東海岸から逆輸入的に功成り名遂げた、いま最も注目するべきアーティストの1人だが、本稿でフォーカスを当てるのは彼ではなく、約2年半アシスタントとして彼に師事したグラフィックデザイナー/アーティストの中西伶(なかにし れい)である。

日本国内における知名度は現時点でそう高くはない新星だが、その実力とセンスは先日発売情報もお伝えしたばかりの『CHARI&CO』x〈le coq sportif〉とのスペシャルコラボコレクションを見て分かる通り折り紙つき。そこで今回『HYPEBEAST』では、地元三重からグラフィックデザイナーとして東京へ、そして山口氏に師事するべくニューヨークへ、そしてアーティストとして再び日本へと活動の拠点を移す1994年生まれの若き才能に、ニューヨークでの生活や師匠・山口氏との関係性、これまでのことやこれからの展望などを聞いた。


今日はよろしくお願いします。ニューヨークには何年間いたんですか?

2016年8月からニューヨークに住みはじめて、2019年の3月末までいました。20歳の時に三重県から、東京に上京してグラフィックデザインのお仕事をしながら生活していたんですが、ある日自分のスタイルを掴めなくなり、立ち止まってしまって。それでアーティストになりたいと思い、“歴さんのアシスタントになる”という目的でニューヨークに移住しました。やっぱりアーティストはスタイルを持っている人の職業だと思うので、本当に当時からリスペクトがありました。

アートの道を志したきっかけは?

東京でグラフィックデザインをさせていただいていたとき、最初はグラフィックデザイナーでカッコいい人達をリスペクトしていたんですが、グラフィックデザインという職業がカッコいいんじゃなくて、スタイルを持って物作りをしている人がカッコいいんだなと気付いて。それで自分のスタイルを突き詰めるアートの世界に辿り着いたというのはあります。それと何より歴さんの作品に飛ばされた(感銘を受けた)というのもきっかけとしてはデカいですね。

ニューヨークでの生活スタイルはどんな感じだったんですか?

ニューヨークは本当にタイトな街です。華やかな面ばかり表に出がちですけど、実際観光で訪れただけでは分からないタイトでリアルな状況に立たされる局面は多かったです。主にお金の面ですね。実際に住んで、やりたいことをやろうとするだけでこんなストラグル(苦心)を味わえる国は他に無いんじゃないのかな、って思います。家賃も高いですし。考える間も無く何かをしなければいけない疾走感があって、それが気持ちいいところでもあって。僕は英語の勉強も友達を作って遊ぶことにもあんまり興味がなかったので、歴さんのアシスタント業務に心を注いでいました。

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山口歴さんのアシスタントになった経緯はどのような感じだったのですか?

『+81』という雑誌でまず最初に歴さんを見たことを覚えています。そこからInstagram上で歴さんの投稿にたくさん僕がLike(いいね)を付けて覚えてもらって(笑)。歴さんとしても「なんかヤバい若いやつがいるな」っていう印象を持っていただいていたみたいで、僕のグラフィックワークをFacebookでリポストしてもらったのを覚えています。そのときは驚きました。

そこから「ニューヨークに行くんですよね」っていうやりとりがあり、(2016年8月に移住する以前に)ニューヨークへ旅行に行き、到着した日に歴さんの家に伺って酒も得意じゃないのにベロベロに酔っ払って(笑)。その状態で「アシスタントにしてください」っていう話をしました。

そもそもニューヨークに来た大きな理由として歴さんがいるのがデカかったので、歴さんがLAにいたらLAに行っていたと思います(笑)。日本には歴さんみたいなアーティストが本当に、全然いないので。

ニューヨークに来るタイミングでSNSを全部やめたっていうのは本当ですか?

本当です(笑)。付き合う人や環境、普段見てるものが、例えそれがスマホの画面上のものであったとしても、自分に影響を及ぼすものだと思っていたので、(そういった余計なものを)遮断するような環境を自ら作りました。

そしてその状態を実際に2年半もの間続けて、本当にそれは間違いないと確信しました。普段目にしているもの重要性に気付いた2年半でした。

NY生活で伶君に大きな影響を与えたのは間違いなく歴さんの存在だと思うんですけど、それはアーティストとしての中西伶にとってどんな種類の影響でしたか?

歴さんは先輩でもありますし、チームでもあって、そしてファミリーでもあります。多分僕が歴さんの最初のアシスタントとして共有したものの多さや、制作を共にした時間が持つ意味は、本当に言葉には出来ない程に多いです。

でも、ほぼアシスタント業務だけに2年半集中したということが良かったと同時に、それがすごい葛藤であったことも否めないです。アシスタントをやめるにあたって、とても悩んだ点でもあります。実際ニューヨークに来てから、作品という作品も2点しか作れていないんです(笑)。

めちゃくちゃ難しい気持ちの話なんですけど、歴さんの影響から逃れられないというか、どうしても歴さんの影響が大きすぎて。ペインティングをやるためにニューヨークに来たんですけど、歴さんのアシスタントを2年半やった末の決断が画家を辞める、というグラフィックデザイナーでもペインターでもないっていうものでした。

というのも、歴さんとの仕事でキャンバスから飛び出した作品を作っていると、家に帰ってから自分の作品を制作しようとするときにどうしてもキャンバスと言う四角形の平面に向き合えなくなってしまって。どうやっても超えられないというか、もしやったとしてもその影響を受け続けてしまう。その結果として、その分野は自分にはできないという答えが出ました。

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その気持ちが芽生えたのはいつ頃のことですか?

2018年の12月にマイアミで展示があって、ぶっ通しで休みもなくやってからその付近で少し休む期間があって。そのあたりから自分の気持ちがやっと分かった気がしました。2年ちょっと歴さんのアシスタントを経験して、やっとそこに向き合うことが自分の中で出来たというか。

歴さんにはその気持ちをどうやって伝えたんですか?

最初僕が歴さんにお伝えしたのが、僕はMeguru Yamaguchiのデザイナーとしてやっていきたいという気持ちを伝えたんですよ。それは当時気持ちの整理が全然付いてなかった自分の中で出した落とし所だったんですけど、歴さんの最初のアシスタントとして、デザイナーという肩書でキャリアを進めようっていう。でも改めて考えた時に、それってこう、違うのかなっていう、自分の為にこう、言葉にするのが難しいんですけど……(笑)。超複雑な気持ちだったっすね(笑)。

恋人とか家族が離れるみたいな?

本当それですね(笑)。 歴さんは「バンドメンバーが解散する時ってこういう感情なのかなあ」って言ってたんですけど、「わかる!(笑)」みたいな。バンド組んだことはないんですけど、本当にファミリーの一員として僕を側に置いてくれていたので。

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ペインティングをやらないとなると、今後はどのような活動をやっていくつもりですか?

具体的に言うと3Dプリンターの3Dモデリングの勉強がしたいのと、マテリアルだと、シルバーとセラミックに興味があって。歴さんがよく制作中に「シルバーって世界が滅ぶ寸前まで残ってる素材なんだよ」って話をしてて、それがめちゃくちゃ刺さってて(笑)。平面的なものをずっと扱っていたので、立体的なものに挑戦していきたいなと言う気持ちがあります。

ニューヨークと東京のアートシーンの違いは感じますか?

自分の一意見ですが、本当にごちゃごちゃした能書きが多いアーティストが日本には多すぎると思います。居酒屋で酒飲んで誰かの噂してるだけで作品のスキルは上がってない、みたいな。みんなソーシャルメディアで訳わかんないこと呟いて、作品に使うエネルギーをそっちに発散してるんじゃないかな?って。

それと作品を制作する奴はいても、売る努力をしてない人が多いようにも思います。リアルなストリートの人を除いて、何言われても黙って制作に没頭してる歴さんやHaroshiさんのような本物のアーティストが全然居ないなと思いますね。でももちろんアメリカにも日本にもリスペクトしているアーティストは沢山います。

今回このタイミングで東京に戻る理由は?

実際2年半ほぼ無休で動き続けて疲れたというのは正直なところあります(笑)。その動き続けている状況は歴さんも一緒なのですが、僕が歴さんの作品以外良いと思えなくなってしまった時期があって。自分でも一番やばいと思ったのが、作品でもなんでもなく、意図的に配置された何かの配色とかを見るだけでも嫌になっていた事とかもありました(笑)。街中に張り出されているポスターとか、なんてこともない色を見るだけで、「は?」みたいな(笑)。

ニューヨークを離れなくてもいいんじゃないのかと言うことを言っていただける人もいましたが、帰りたい理由としては、次に勉強したいことが3Dプリントやシルバー、セラミックといった、テック寄りのことや職人寄りのことなので、ぶっちゃけ安心できる場所で引きこもりたいなって思ったんですよね。

日本に住み続けていたら思ってないなってことも今は思えたりしていますか?

ありますね、自分に自信がついたって言うところがまずあります。ニューヨークに住んで、ここで通用しているものとか、価値を吸収して得られたものとか、歴さんのアシスタントをやりきったこと、それが次へ進む動きとして自分の自信になっているのを強く感じてます。

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最後に『CHARI&CO』とのコラボレーションにかけた思いを一言!

今回はサイクリングジャージのデザインということで、モノクロの写真にバキッと映える赤のグラフィックを写真にコラージュさせて、昇華転写のプリントに相性の良いコントラストの強いデザインにしました。4月26日(金)からの『le coq sportif avant HARAJUKU』での展示ではグラフィックのプリントも準備しておりますので是非どなたでもお越しください!


中西伶のグラフィックデザインが大胆に落とし込まれた『CHARI&CO』x〈le coq sportif〉によるコラボコレクション及び発売日初日の4月26日(金)19時からは原宿の『le coq sportif avant HARAJUKU』にて開催される誰でも入場可能(フリーエントランス/フリードリンク)のレセプションパーティーについてもお見逃しなく。

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テキスト
インタビュアー
Yuki Goto/Chari&co
画像
Yuki Goto/Chari&co
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