Michael Jordan と Nike の契約ストーリー

「シューズが重要になったのは、Jordanのシューズが現れてからのことだ」

フットウエア
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2016年という現在では、1984年当時のスポーツウエア事情を鮮明に思い描くことは難しい。ましてやスニーカー業界においての〈Nike〉の立ち位置や、「Michael Jordan」が〈Nike〉との契約に乗り気ではなかったなどと容易に想像ができるだろうか?

Bleacher Report』によるビデオインタビューでは、当時を知る人物たちが語る「Michael Jordan」と〈Nike〉の契約、「Air Jordan」誕生までのストーリーが明かされている。MJの元エージェント「David Falk」によると、当時まだ業界では新顔だったポートランドのブランド〈Nike〉に対してのJordanの思い入れはゼロに等しく、Jordan本人は〈adidas〉との契約を望んでいたという。当時のスター選手「Larry Bird」や「Magic Johnson」など多くの選手は〈Converse〉にサポートされており、〈Converse〉から同様のオファーも受けていたJordanだったが、そこにデザインやクリエイティブの面での自由度を見出すことはできなかった。一方ニューカマーである〈Nike〉はJordanとの契約を渇望していたが、本人は当時特に親しみもなく知名度も低かったブランドとの契約を決めかねている状態だったという。しかし母親やFalkに説得されオレゴンへ飛び、〈Nike〉創設者の一人「Phil Knight」をはじめとするメンバーと対面。〈Nike〉チームが制作した大学時代からの自分のプレーのハイライトビデオを目にし、数時間におよぶミーティングをした。対面中一遍の笑みも見せなかったJordanに、Falkは無駄足だったと責められるのではと構えていたが、Jordanが口にしたのは「I don’t wanna go anywhere else. This is it. (他のどこにも行きたくない。ここしかないよ。)」という言葉だったという。そこから先はご存知の通り。「Air Jordan」の誕生と、そこから続くスニーカーヒストリーが始まった。上のビデオに見られるこの若きJordanの決断秘話をチェックしてみよう。

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