Interviews: 国井栄之が語るボーダーレスなスニーカーシーン

東京のスニーカーカルチャーを世界に発信する『mita

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東京のスニーカーカルチャーを世界に発信する『mita sneakers』のクリエイティブ・ディレクター「国井栄之」氏に、インタビューを敢行。数々の企画をディレクションしてきた国井氏に、スニーカーへ対する信念や自身の夢、そして、1990年代と現在のスニーカーブームの比較などについて伺った。常に新しいアイデアを求め、チャレンジし続けてきた国井氏が捉える、世界規模のスニーカー情勢とは?


#sneakersでは〈Nike〉限定で10足選んで頂きましたが、この10足に対しての思い入れを教えてください。

上野の“City Attack”や、『mita sneakers』との共同企画である“SMU(Special Make Up)”の中から選ばせて頂きました。さまざまなブランドともコラボレーションをやっていますが、実は1番最初にタッグを組んだブランドが〈Nike〉です。この業界に入って、〈Nike〉に企画を持ち込み、実現しました。最初の共同企画は2000年で、〈Nike〉の「Air Footscape」というスニーカーを上野の“City Attack”としてローンチ。その後も、“SMU”だったり、“City Attack”は不定期ですが、継続的に行わせて頂いています。

〈Nike〉と共に、僕たちのようなインディペンデントのスニーカーショップが継続的に取り組みが出来るということは、すごく貴重なチャンスだと感じています。

-ほかは、どこが一番多くコラボレーションをしていますか?

〈New Balance〉でしょうか。2000年から〈New Balance〉、〈HECTIC〉、『mita sneakers』のトリプルネームが10年ぐらい続きました。〈ASICS Tiger〉に関しては、一度「GEL-LYTE」シリーズが日本で販売されなくなった期間がありましたが、〈ASICS Tiger〉や〈Onitsuka Tiger〉は、以前からコラボレーションモデルを販売していました。ほかにも〈Puma〉、〈Converse〉、〈Reebok〉、〈adidas〉、最近だと〈Diadora〉、〈le coq sportif〉など、大手スポーツブランドはほとんど網羅しているかもしれません。

-まだやっていないことや、今後やってみたいということはありますか?

僕たちが今やっている“SMU”は、タウンユース的な側面が強いですが、スポーツブランドとのコラボレーションなので、スポーツ選手が履くための靴のカラーリングなどをディレクションしてみたいと思っています。たとえ競技には使わなくても、2020年のオリンピックなどを含め、使用できる機会はあると思うので、スポーツの側面からどこかのブランドと何かしてみたい、というのが昔からの夢ですね。今回紹介した「Air Force 1 Low “Sakura Ueno”」を「Fat Joe」がPVで着用してくれるなど、一流のアーティストやプロスケーターをはじめ、さまざまなカルチャーを牽引する人が僕のデザインしたスニーカーを履いてくれたのを目にしたことがありますが、スポーツの分野に関しては未だにそこまで踏み込めていません。ですので、スポーツの大きな大会に関連したところで履いてもらえるような何かを作ることができたとしたら、また1つ新しいことを成し遂げる機会になるはずです。コラボレーションのパートナーはスポーツブランドですが、スポーツの世界というのは、近いようで、すごく遠くもあります。

-海外からの〈mita sneakers〉に対する反応は、昔と比べて変わってきているのでしょうか?

海外に出張へ行く際に、キーアカウントの人たちと話をしますが、『mita sneakers』は、コラボレーションで自由に物を作ることができる時代において、それを実現している先駆けだと言って頂けます。あとは、スポーツブランドとアパレルブランドとスニーカーショップのトリプルネームで提案する手法も、おそらく『mita sneakers』がパイオニア。当時は概念として確立されていなかったため、自由度が高く、メーカーの方々も全てが手探りで、やっていてすごく楽しかったです。

コラボレーションが一つの方法としてポピュラーになり、先駆者として周りからの期待に少しでも応え続けたいと感じています。最近では「GEL-LYTE III」のマンスリーコラボや、「Ventilator」の25周年記念モデルなど、各国を代表するアカウントが年間を通して1点ずつコラボレーションしていく世界プロジェクトがあります。どこの国の誰が作ったものが1番かっこいいかという競争でもあると思うのですが、毎回ベストは尽くす一方で、『mita sneakers』として参加できることをゲーム感覚で楽しんでもいます。

-スニーカーのディテールでもっともこだわるところはどこですか?

コラボレーションは良くも悪くもトピックなので、意外性と普遍性のバランスは意識しています。スニーカーは加水分解したり、壊れてしまっても残しておくスニーカーファンは多いはず。だから、シューズとしての機能性を失っても違ったものに昇華されるので、数年経った時に見返してもがっかりしないものを作っています。ですので、その時々のトレンドは全く意識していません。

あとは、やっぱり世界中で“日本人ならではのことをやっている”と思ってもらえるように、地域性も重要なエッセンスとして組み込んでいます。でも、すべて和柄で出せば日本っぽいというわけではないので、コンテンポラリーな日本っぽさや、東京のスニーカーカルチャーを上手く表現することを大切にしています。

-国井さんが思う“東京のスニーカーカルチャー”とは?

他の産業と一緒ですが、発色、素材感、風合い、カラーバランスなど、細部のディテールやクオリティは、日本が問われるところですね。例えば、左右非対称のデザインとか、一部分のパーツだけ違うとか、すごく面倒なことを常にやるので、メーカーの方と協業の話になった際は、最初に“物理的にできないことは諦めるけれど、大人の事情で出来ないというのはやめましょう”と必ず伝えます。でも、ブランドの担当の方は、毎回トライしたいというポジティブな答えを返してくれますね。前回の“#Sneakers”で〈Whiz Limited〉の下野くんが紹介した「576」は、僕たちの生まれ年である1976年にちなみ、“76”の部分だけ色を変えるなど、グレーゾーンや隙間を見つけるのも得意です。ほかにも、パターンを変更して企画を通してもらったり、今まで使ったことのない素材をトライアルでやってもらうこともあります。

だから、売れる、売れないよりも、新しいチャレンジを織り込まないといけません。売れるためだけに作るものは、コラボレーション本来の意味、意義を成してないと思うので、それさえ成していれば、素晴らしいスニーカーがクリエイトできると思っています。「Air Max 95 Neo Escape “mita sneakers”」は、2004年にリリースしたものですが、シームレスのように新たな技法で圧着した「Air Max 95+ BB Neo Escape 2.0 “mita sneakers”」は、2012年に発表したもの。つまり、カラーリング自体は変わらないけれど、僕たちが8年前にやった企画が今の時代でも色褪せないということを証明したくて、あの1足をリリースしました。

-現在のスニーカーブームをどう感じ取っていますか?

1990年代とはまったく違います。1990年代のスニーカーブームは、あくまで東京で起きたことであって、世界を巻き込んではいなかった。けれども、今は世界中を巻き込んでのスニーカーブームなので、規模感はかなり変化したと思います。

また、日本は「Air Force 1」や「Super Star」など、コート系がデフォルトでしたが、当時のトレンドはすべてアメリカから入ってきた情報です。しかし、現在は世界のデフォルトがランニングなので、ヨーロッパのストーリーも入ってきている。インターネットで世界が小さくなったおかげで、世界各国でインディペンデントのスニーカーカルチャーが成立していて、それぞれが面白い発信をして世界を巻き込むからこそ、周年のアニバーサリープロジェクトやマンスリーコラボができるのではないでしょうか。

-世界のスニーカーショップの中で、気になるアカウントはありますか?

オランダの〈patta〉やドイツの『solebox』は、スタンスを変えないし、本当にかっこいいと思います。あとは、アメリカの「Ronie Fieg」は新しいですね。ファッション的にもヨーロッパの影響が大きかったですが、近年はアメリカ回帰の流れを感じます。〈Undefeated〉はもちろん、ニューヨークでは『KITH』が出てきて、ほかの街でもいろいろなショップが次の主役を競い合っている。アジアでもシンガポールの『LEFTFOOT』や、マレーシアの『Crossover』そして、オーストラリアの『Highs and Lows』など、国を問わずかっこいいショップはあります。

-現代のスニーカーシーンには、カスタマイズ集団もいますが、彼らとの住み分けに関してはどうでしょうか?

〈SBTG〉の「Mark Ong」は昔から仲良しで、〈New Balance〉でコラボレーションしていますし、実は今後も違うブランドでプロジェクトを計画しています。僕たちがやっている“SMU”は、与えられたキャンバスに自由に描くということをオフィシャルでできる強みがある。しかし、彼らは描いてはいけない看板に描くことで、企業にメッセージを発するイメージです。僕たちも世界中の誰もが知っているスポーツブランドに、自分たちのロゴや、カラーリング、地域性を落とし込むので、スタンスはカスタマイズ集団と同じですが。しかし、僕たちがシューズブランドと協業する場合、物理的に作ることは可能ですが、物性、耐久性、色移行などの問題で企画が通らない一方で、彼らは軽々とクオリティーコントロールすることができます。しかし、住み分けなどはなく、僕はスニーカーが足元のイニシアチブをまだ取れていない日本で、1足でもスニーカーを履いてくれる人が増えればいいなと思っています。

-上野でショップをやる理由は?

〈mita sneakers〉の起源には、50年以上の歴史があります。草履、下駄の製造、販売から始まり、傾いた会社の経営を立て直すために1980年代に入ってから日本でもスニーカーの方が売れるという理由でスニーカーにシフトして、1990年代のスニーカーブームを機に、正式にスニーカーショップとしてスタートしました。その後、1997年には僕が入社してコラボレーションなどの企画がスタート。上野は、アメ横があるからアメカジの流れもあり、元々浅草や下町など大きな川が流れているところは、皮物や靴の製造が多いので、アメ横は履物を売る街でもあります。そこで海外のスポーツブランドが上野を日本や東京のスニーカーの発祥と位置づけ、“City Attack”などのチャンス与えてくれたのだと思います。

-最後に、秋冬に流行しそうなブランドなどを国井さん目線で教えてください。

現在のスニーカーブームの流れを汲みとると、スニーカーバブルが弾けた97年以降、ユーロ企画が人気を博したのと同様に〈Diadora〉や〈le coq sportif〉など、ヨーロッパブランドは気になりますね。アメリカであれば、〈Brooks〉と、アウトドアブランドの〈KEEN〉。その中でも「UNEEK」は、サンダルっぽいですが、2本のコードを手編みで組んでいるオープンエアスニーカーと題した革新的な打ち出し方が斬新ですよね。各ブランドでアイコニックなものはその都度決まっているので、今よりブランドの選択肢が広がることを期待しています。

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