Air Jordan 1 にまつわる8つのストーリー
バスケットボールの神「Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)」の最初期のシグネチャーモデル「Air Jordan
バスケットボールの神「Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)」の最初期のシグネチャーモデル「Air Jordan 1」が、スニーカー史上もっとも権威のある1足であることに疑いの余地はない。選手時代にJordanが活躍したNBAチーム「シカゴ・ブルズ」を彷彿させるカラーリングでおなじみの“Chicago”は、1985年のファーストリリース以降、〈Jordan Brand〉の代名詞的存在として今なお多くのスニーカーヘッズたちから愛されており、先先日には2年ぶりの復刻を果たしたばかりだ。今年で30周年を迎える〈Jordan Brand〉の輝かしい歴史を語る上で欠かすことのできない「Air Jordan 1」。今回は、その「Air Jordan 1」にまつわる8つのストーリーをご紹介したいと思う。
1. 「Air Jordan 1 Retro High」の“Chicago”は、これまで4度しかリリースされていない
前述したとおり、1985年に初登場した“Chicago”だが、〈Jordan Brand〉の30年の歴史の中で発売されたのは、意外にも4回のみ。オリジナルの登場以降、1994年、2013年、2015年に復刻モデルがリリースされているが、それぞれトゥボックスの形状や構造などに若干の違いが散見される。また、先日リリースされた2015年モデルは初期のデザインを踏襲している一方で、2013年にリリースされた“Chicago”は、1988年に登場したジャンプマンロゴがヒールとシュータンにデザインされており、全4種類の“Chicago”の中で唯一のジャンプマンロゴが配されたモデルとなっている。
2. “Chicago”の2015年モデルは、シューレースを緩めての発売
1985年にリリースされた“Chicago”の初期モデルは、シューレースを緩めて出荷されていた。先日リリースされた2015年モデルもオリジナルに限りなく近い形で発売され、オリジナルと同様にシューレースを緩めて発売されたほか、シューズボックスも初期のデザインをそのまま採用している。一見なんということのないこだわりではあるが、スニーカーフリークたちにはたまらない“気配り”であったことは言うまでもない。ちなみに、2015年モデルには、レッド、ブラック、ホワイトと3色のシューレースが付属しており、好みに応じて表情を変えることができる仕様となっている。
3. 「Air Jordan 1」と〈adidas〉のパフォーマンスロゴのデザイナーは同一人物
〈Nike〉の伝説的シューズデザイナー「Tinker Hatfield」が「Air Jordan」シリーズのデザインを担当しはじめたのは、「Air Jordan 3」以降。それ以前は「Peter Moore」という人物が「Air Jordan」のデザインを担当していた。彼は、30年以上〈Nike〉のクリエイティブ・ディレクターを務めていたが、同時に〈adidas〉のアメリカ支部の創設者という経緯も持っており、〈adidas〉の3本線で三角形をかたどった、アイコニックな“パフォーマンスロゴ”のデザイナーでもある。なお、Mooreは〈Nike〉を退社した後、アメリカ・ポートランドで「Sports Inc.」というマーケティングカンパニーを立ち上げている。
4. ウイングロゴは、シカゴへ向かう飛行機の中でナプキンに描かれて生まれた
〈Jordan Brand〉を象徴するウイングロゴは、当時〈Nike〉のクリエイティブ・ディレクターであった「Peter Moore」が、飛行機での移動中、子供が身につけていたアメリカ空軍のパイロットウイングのレプリカにインスピレーションを受けて、ナプキンに描いたことが起源と言われている。ウイングロゴの誕生秘話は、意外な日常に隠されていたのだ。
5. 1985年当時は、「Air Jordan 1」が約2,500円で購入できた
1985年に発売された「Air Jordan 1」は当時、$65 USD(約8,100円、現在価格で約18,000円相当)で販売されていたが、転売屋は$100 USD(約12,500円、現在価格で約27,000円相当)の値段をつけていた。〈Nike〉はこのような悪事を防ぐべく、市場に「Air Jordan 1」の流通を増やして、より多くの人にオリジナルの値段で購入してもらうよう努めたが、その反面、在庫が残り、セールでは1足$20 USD(約2,500円)で叩き売りされたという。
6. 「Air Jordan 1」は、スケートボード界でも流行していた
「Air Jordan 1」は、レッド&ブラックのモデル“Breds”がNBAでの着用を禁止されて以降、次第に評判を落としていった。しかし、バスケットボール界から追放された名作は、すぐさま世界中のスケートボーダーたちの憧れの的となる。理由は、ソールのクッション性、足首の保護など、スケーターたちがスニーカーに求めていた要素をすべてクリアしていたからである。また、当時のキャンバス製のスニーカーに比べ、レザー製の頑丈な作りもハードなパフォーマンスの求められるスケーターたちに支持された理由の1つだろう。
7. 「Michael Jordan」は、「Air Jordan 1」が嫌いだった
「Air Jordan 1」は「Michael Jordan」のシグネチャーモデルとしてリリースされたにも関わらず、Jordanは当時「私は履きたくない。なぜなら、これは“デビル”の色だからだ」と敬遠していた。しかし、Jordanの言う“デビル”とは“悪魔”のことではなく、「ノースカロライナ大学チャペルヒル校」に通っていた彼にとって、学生時代のライバル校「ノースカロライナ州率大学」のチームカラーであることを意味している。
8. 「Air Jordan 1」の“Breds”は、NBAから着用を禁止されていた
「Air Jordan 1」は、当時のNBAコミッショナー「David Stern」が、“ユニフォームの色にそぐわない”という理由から“Breds”の着用を禁じていた。しかし、「Michael Jordan」は、この掟を無視し、毎試合$5,000 USD(約62万円)の罰金を支払いながら、「Air Jordan 1」を着用して試合に出場していたと言われている。実際は、逆に宣伝効果があるという理由から〈Nike〉がこの罰金を肩代わりしており、逆手に取ったマーケティングとして、以後大きな成果を得ることになる。一方、『Sole Collector』は、Jordanがプレスカンファレンスや写真撮影のあるシチュエーションのみでしか“Breds”を着用していなかったのではないかという逸話を伝えている。



















